Writingsコラム

編み物ブームの歴史

2〜3年ほど前から編み物をする人が増え、一時期、100円ショップの毛糸が品切れになったこともありました。明治以降、編み物ブームは何度かありました。日本の編み物が盛り上がった歴史を見ていきましょう。

まず、日本に編み物がやってきたのは、安土・桃山時代のキリスト教伝来時です。スペインからメリヤス編みが伝えられ、靴下や足袋、手袋などが製造され、江戸時代にある程度の量の生産が開始されます。明治初期に手回し式編み機が輸入され、大量生産時代が始まりました。

手芸として編み物が広がったのは、西洋文化が入ってきた明治時代からです。機械編みと同じ頃、手編みの技法も伝わっていましたが、長崎の遊郭で働く女性の手遊び程度でした。明治中期ごろから「西洋編み物」という名称で、本格的に女性たちへと広がっていきます。中でも江藤春代(1879〜1960)さんは編み記号を作り出し、本の出版や塾などで編み物教育に力を注ぎました。5歳で父親を亡くし、自立を余儀なくされていた彼女は、幼い頃からかぎ針編みが得意で、12歳頃から他人に教えるほどの腕前だったとか。女学校を卒業した後、結婚した夫は日露戦争で死去したため、生活の糧として得意の編み物技術を活かしていったのです。

初期の編み物ブームは、女性の自立と世の中の経済状況に左右されていました。第1次編み物ブームは、第1次世界大戦後の1920年頃。女性の自立の手段として奨励されました。第2次ブームは1930年前後で、女性の余暇活用として、自分や家族が身につけるものを手作りすることが求められました。が、1940年頃から戦争の影響で物資不足となり、下火に。1945年の太平洋戦争終了後も、しばらくの間、衣料品は手に入りにくいものでしたから、多くの女性は自分で服を仕立てたり、セーターを編んだりしていました。これらの編み物は趣味ではなく、生活の一部でした。

1960年後半から景気が良くなり、大量生産・消費の波が押し寄せ、既製品の方が手作りよりも安価に、デザインも工夫されていくようになります。そこから趣味としての編み物ブームが起きました。手編みだけではなく、1954年にブラザーから発売された家庭用機械編み機は大ブームとなり、1970年代のピーク時には「ブラザー編み物教室」が全国で2万教室もあったとか。その流れを受けて、1980年代にはタカラトミーからは子供版編み機も発売されます。

しかし機械編みブームは1980年頃に収束します。次に起きたのは手編みブームです。1993年に広瀬光治さんがテレビ東京の番組でチャンピオンとなって注目を集め、その後、NHKの番組などで作品や技術を披露し人気を博します。当時は珍しかった男性が編み物を姿から「ニット界の貴公子」と呼ばれ、1990年代の編み物ブームを牽引していきます。

2010年を超えた頃、編み物界にリバイバルブームが起こります。1960〜70年代に流行した、かぎ針編みでぬいぐるみを作った「編みぐるみ」が、カワイイとSNSで拡散。さらに2020年のコロナ禍での「おうち時間」の過ごし方として、世界中で性別を問わず、趣味として広がることとなり、編み物のオフシーズンとされる夏でも衰えない勢いを保ち続けています。SNSの普及で編み方や材料の選び方など、映像を通して知ることができるようになったのも、編み物人口の裾野を広げた要因でしょう。最近では電車の中で編む人も見かけるほどですから、一般的な趣味として確実に広がっているようです。

アーカイブ

ページ上部へ戻る