Writingsコラム
奈良県・そうめん誕生の地

食欲のない時に、つるりとした喉越しで、さらりと食べられるそうめん。奈良県といえば三輪そうめんで、兵庫県の播州手延べそうめん、香川県の小豆島そうめんと並んで、日本3大そうめんの一つと言われます。特に三輪は、そうめん発祥の地でもあり、江戸時代の「日本山海名物図鑑」では日本一と絶賛されていたとか。詳しく探っていきましょう。
実は奈良県は人が住むことのできる可住地面積が日本一狭い県です。平城京など古代の都があった奈良盆地のイメージは広い気がしますが、面積的には300平方キロメートルで、東京23区の半分以下、大阪市より少々狭めといったところ。奈良盆地以外はほとんどが山岳地帯です。奈良盆地の東にあたる大和高原は穏やかですが、県の南側エリア、天川村や十津川村などがある地域は、紀伊山地や大峰山脈など、修行の山としても知られる厳しい山々が連なっています。
約6,000年前の縄文時代、奈良盆地は大和湖という湖でした。年月を経て湿地帯になっていった頃、稲作が始まります。淡水性の湿地はよく肥えた土壌で、稲作がしやすかったと推察され、耕作面積が少ない割には実り豊かであったでしょう。米が作れない地域では小麦が栽培され、藤原京や平城京といった都が置かれるほど豊かな地帯でした。
山地との境にある桜井市の大神(おおみわ)神社周辺には、三輪そうめんの製造業者がたくさん立ち並んでいます。三輪そうめんは824年、大神神社の神主一族が始めたという話が残っています。そうめんの原型は、儀式などに使われていた索餅(さくべい)という、小麦粉と米粉を練って縄のように捻り合わせたお菓子ですが、これをもとに、細く糸状にしたものを飢餓と疫病に苦しむ庶民に振る舞ったことが起源だとか。小麦の栽培を行う地帯が近くにあったということもあり、そうめん産業は成長し、江戸時代には伊勢参りの途中に訪れた人に人気のご当地食となりました。そうめんの製法も、播州や小豆島、そして長崎と西日本を中心に伝わっていきます。
そうめん作りの最盛期は冬になります。小麦粉、塩と水でこねてグルテンを出し、細く伸ばしたそうめんの表面には綿実油が塗られます。すぐ食べるよりも一年寝かせた「ひねもの」の方がコシがあっておいしいとか。出来上がったそうめんに、適度な湿度が加わると、グルテンの構造が変化して歯応えが生まれるためです。ただし、一般家庭で放ったらかしにしておくのではなく、きちんと温度と湿度が管理された熟成庫に入れることが必要です。
大神神社では、毎年2月5日に「卜定祭(ぼくじょうさい)」が行われ、これがその年初めて取引される初そうめんの価格の参考値になるとか。8月末には盆踊りではなく「そうめん踊り」が奉納され、今後のそうめん業界の発展を願います。これは夏のそうめん商戦がひと段落した感謝祭の意味あいもあるようです。細く長いそうめんと、大神神社との古いご縁は、これからも続いていくのでしょう。