Writingsコラム
音楽の街・ニューオーリンズ

アメリカ南部の都市ニューオーリンズはジャズ発祥の地と言われています。毎年4月下旬から5月上旬にかけてジャズフェスティバルが開催され、出演する有名ミュージシャンの音楽を聴きに、世界中から観客が集まります。ジャズだけではなく、アメリカらしさを象徴するフォークやラップもここから生まれたとか。ニューオーリンズを彩る音楽とそのルーツをご紹介します。
ニューオーリンズは1718年フランスによって建設されました。フランス語でヌーベル・オルレアンと名付けられ、ミシシッピ川の水運を活かして栄えていきます。1762年フランスはイギリスとの植民地戦争に敗れ、ニューオーリンズが州都であるルイジアナ州は、スペインに譲渡されました。1800年に再びフランス領に戻り、周辺に広大な農園(プランテーション)を開きます。ここでの労働力は、アフリカから連れてこられた黒人奴隷。1803年、ルイジアナ州は英仏戦争の戦費に困ったナポレオンによって売られ、アメリカ領となります。西インド諸島からの黒人も加わり、一気に黒人奴隷人口が拡大していきます。
そんな歴史からニューオーリンズの旧市街と呼ばれる昔ながらの地区は、フランスとスペイン、そして中南米諸国の様式が混じり合っています。スパイスの効いたケイジャン料理は、スペインのパエリアに似たものがジャンバラヤ、フライドチキンはケイジャンチキンと呼ばれます。オクラをはじめとした数多くの野菜や魚、肉が混じり合ったスープはガンボ。ガンボのように様々な人種が混じり合った結果、ここに住む人はクレオールと呼ばれていきます。
20世紀に入る頃、ニューオーリンズジャズが誕生していきます。歓楽街で流れていたジャズは徐々に一般化していき、大人数のビックバンド編成によるものやスイングというダンスミュージックに発展していきます。
1865年の南北戦争後に移り住んできた黒人が、自分たちのルーツであるアフリカの音楽のリズムを用いての演奏が、ジャズをはじめとした様々な音楽の始まりです。神に自分たちの境遇を訴える歌はゴスペル。ギターで切々と語るスタイルはブルース。死者を送るために通りを練り歩くブラスバンドの演奏は、セカンドラインと呼ばれます。「聖者の行進」に代表される陽気なリズムは、囚われていた魂が解放され、天国へ行くことを祝福する思いがこもっています。
20世紀中盤まで、ジャズは黒人のものでした。ルイ・アームストロングなどの名演奏者が続々と誕生し、踊るだけではなく、聴く音楽としても進化していきます。しかしジャズに魅了されたのは黒人だけではありませんでした。優れた曲の数々に影響された白人がジャズを演奏し始めたのです。さらに流れはリズム&ブルース、ロックへと分化していきます。
そんな20世紀後半、白い呪術師と呼ばれたドクター・ジョンが人種の垣根を崩していく存在となりました。彼が1972年に出したアルバムは「ガンボ」。いろいろな食材が混じり合ったスープに由来するこの名盤は、彼が生まれ育ったニューオーリンズの音楽を世界中に伝え、多種多様な人種や文化が混じり合う素晴らしさを、今も色褪せることなく私たちに教えてくれています。