Writingsコラム

有明海の恵み、佐賀県

九州の北西部にある佐賀県は、北は玄界灘、南は有明海に面しています。玄界灘は水深80メートルの大きな大陸棚が広がりフグ、アジ、タイ、ヒラメなどたくさんの種類の魚が取れる有数の漁場。対して、有明海は平均して水深20メートルと浅く、佐賀をはじめ、福岡、長崎、熊本の四県が取り囲む、日本一の干潟地帯です。そこにはムツゴロウなど独自の海洋生物層があり、海苔の養殖が盛んです。

有明海は最大6mともなる日本最大の干満差でも有名です。干潮時には全国の干潟面積の4割を占める広大な干潟が出現します。流れ込む川によって生態系が異なり、佐賀県内では東よか干潟、肥前鹿島干潟はラムサール条約湿地に登録されています。

この大きな干満差は、有明海が細長い形であるため、東シナ海の海水が一気に流れ込み、引いていくために起こります。この驚くような干満差を生み出す有明海の現象から、古事記にある海幸彦と山幸彦の争いの原因となった「塩盈珠(しおみつたま)」、「塩乾珠(しおふるたま)」の伝説が生まれたと言われています。

また、弥生時代を代表する遺構と言われる吉野ヶ里遺跡は、現在、内陸にありますが、2000年前は海岸沿いにありました。有明海に流れ込む川泥は干潟となり、土地の形をどんどん変えていったのです。江戸時代には干拓も推進され、小さな規模での新田開発がなされたようです。

有明海湾奥西部の太良町には、満潮時には海に沈んでいて、干潮時には姿を表す道路があります。海苔の養殖作業に使用するという、世界でも珍しい産業用道路です。近くには近年、インスタ映えするパワースポットとして知られる大魚(オオウオ)神社があります。3基の海中鳥居があり、満潮時には鳥居は上部だけ見えるだけですが、干潮になると歩いて参拝することができます。

大魚神社の由来は、300年ほど前にいた悪代官が沖ノ島に取り残されてしまったものの、大魚(ナミノウオ:スナメリのこと)に救われて命拾いしたとか。代官は改心して神社を建立し、沖ノ島を望む海中にも鳥居を建てたそうです。それが今、人気の海中鳥居です。陸にある大魚神社の祭神は大魚。訪れた際には、かわいいスナメリの姿を想像して合掌したいものです。

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