Writingsコラム

宮城県の芋煮は味噌味

東北の秋の名物の一つに里芋を使った芋煮料理があります。里芋を肉やネギなどで煮込んだ鍋料理は、山形県の直径6.5メートルもある巨大鍋で3万食分も作るイベントが映像映えするためか、全国ニュースで毎年報道されます。が、河原で行われる芋煮会は山形県だけのものではなく、宮城県でも浸透しています。今回は芋煮を手がかりに、宮城県の食文化を垣間見てみましょう。

まず、芋煮のレシピですが、宮城県バージョンは豚肉を使用し、味噌で味付けをします。山形版は山形市や米沢市などの置賜(おきたま)地方は、牛肉入りの醤油味。日本海側の庄内地方は豚肉を使い、味付けは味噌味。北上して秋田県に行くと鶏肉入りで同じく味噌味。宮城県の北にある岩手県では鶏肉に醤油味。芋煮(もしくは芋の子汁)のレシピは地域ごとに違っています。里芋は極端な暑さと寒さに弱く、東北地方では雪が降り積もる前に食べ切ってしまおうと芋煮文化が定着しているのかもしれません。

宮城版芋煮の味付けに使われるのは、仙台味噌で知られる辛口の赤味噌です。仙台藩の藩祖である伊達政宗が、豊臣秀吉から命じられた朝鮮出兵の際、仙台味噌を持参したのですが、長期滞在の中でも唯一、品質が変わらなかったため、評判になりました。その後、仙台城内に「御塩噌蔵(ごえんそぐら)」という味噌蔵を設け、常陸国(現在の茨城県)から職人を呼び寄せ、14名の味噌を扱う町人とともに「味噌仲間」を結成し、仙台味噌の品質を保つ仕組みを作りました。

江戸の方でも仙台味噌の評判は伝わっており、二代目藩主・忠宗の頃から江戸屋敷内で作られた仙台味噌が払い下げられ、一般に流通するようになりました。製法はもちろん、原材料の大豆と米は仙台藩から海路で運ぶという、当時としてはかなり独自性にこだわった味噌でした。

宮城県の養豚は第2次世界大戦の食糧難で一時激減しましたが、戦後持ち直し、今では伊達の純粋赤豚やJAPAN Xなど、ブランド豚がたくさんあります。しかし畜産に関しては、豚よりも仙台牛の方が有名かもしれません。1974(昭和49)年兵庫県から優秀な種牛を導入し、稲藁をメインにして飼育した仙台牛は、A-5、B-5ランクのみの超高級ブランド牛として名を馳せています。このランクだけという牛肉は全国でも例がなく、仙台牛の大きな強みとなっています。

もう一つ、仙台の名物といえば牛タン料理ですが、宮城県民には高級品とみなされ、あまり食べないという話があります。牛タン料理は、1948(昭和23)年「味太助」という焼き鳥店で生まれたようです。西洋でシチューなどの煮込み料理として食べられていた牛タンを、日本人がおいしく食べることができるように、味付けやカット、調理の方法を模索しながら作り上げました。定食として牛テールスープが付くのも「味太助」発祥だとか。高度経済成長時代、仙台に単身赴任してきたサラリーマンが牛タン料理のおいしさを広めたと言われています。

そして芋煮に戻りますが、宮城県の芋煮は庶民的な豚肉を使用し、大根、にんじん、ごぼうやキノコ、山菜などがたっぷり入っています。仙台藩自慢の味噌を使った芋煮には、豚肉との相性が良い生姜を効かせたレシピもあるのだとか。里芋の芋煮とはいえ、豚汁の要素もあるせいか、毎日食べても飽きない料理となっています。

野外で開かれる芋煮会もありますが、寒い日のおでんのように、夕飯に芋煮が出ることも多いとか。秋の定番である芋煮の温もりにほっとする気持ちは、芋煮文化圏外に住んでいてもわかる気がします。

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