Writingsコラム

自由民権運動 始まりの地・高知県

高知といえば、幕末の偉人・坂本龍馬を真っ先に思い浮かべるかもしれませんが、明治維新後のムーブメント「自由民権運動」発祥の地でもあります。今では当たり前になった「選挙で選ばれた議員で構成される国会」と「身分に関係なく、誰もが平等である」という思想を広めた板垣退助の出身地が高知県だったからです。

板垣退助は第二次世界大戦の敗戦直後に発行された100円札の肖像になったほど、自由民権を象徴する人物です。ただ、板垣退助が身分差別をなくすことを考えはじめたのは、1868年幕府崩壊の決定打となった戊辰戦争です。戦うのは武士だけで、民衆は逃げるという姿を目撃し、「平民も身分に関係なく戦おう」という思いを抱きました。自由民権の思想が戦争から生まれたのは皮肉なことかもしれません。

その後、板垣退助は、西欧諸国から受けていた圧迫を逸らすために、明治政府と国交を阻んでいた朝鮮(現在の韓国・北朝鮮)を攻めて、職を失った士族(武士)の不満を収めようと「征韓論」を唱えて政権から追い出されます。共に唱えた西郷隆盛は後に西南戦争(1877年)を起こし、鎮圧されます。「征韓論」に反対したのは、欧米を見て回った岩倉使節団のメンバーである木戸孝允、大久保利通、岩倉具視らで、国力のない日本に戦争の余力はないと考えたからです。

板垣退助の人生はなかなか一つにまとめることはできませんが、今の私たちにとっての大きな功績は、1874年、民撰議院設立建白書を提出したことです。名を連ねたのは幼なじみの後藤象二郎。蛇嫌いの後藤に蛇をけしかけ、怒った後藤が野糞を板垣に投げつけて反撃したことから友情が生まれたのだとか。

これをきっかけに、彼らの地元、高知県で自由民権運動が起こります。NHK連続テレビ小説「らんまん」でも主人公のモデルである牧野富太郎が地元の運動に巻き込まれ、大騒動となります。運動で歌われていたのが「民権かぞへ歌」で「一つとせ 人の上には人はなき 権利にかはりはないからは この人じやもの」から始まり、なんと20番まで続きます。

自由民権運動の歌は他にも民権ジャーナリスト安岡道太郎作による「よしや節」で「よしや南海苦熱の地でも粋な自由の風が吹く」で始まります。「民権ばあさん」と呼ばれた女性活動家・楠瀬喜多(くすのせ きた)も女性の参政権を求めて活動。地元の新聞である高知新聞も「出雲の神より高知の紙は 圧政予防の妙がある」と自由民権運動を取り締まろうとする政府を批判するなど、言論の自由を志高く発信します。ちなみに高知新聞は「アンパンマン」の作者やなせたかしと暢(のぶ)夫妻が勤務していた職場でもあります。

高知の自由民権運動を象徴する言葉があります。三権分立を唱えたフランスの哲学者モンテスキューの「自由はゲルマンの深い森の中から生まれた」という言葉をベースに、運動の拠点となった立志社の理論家・植木枝盛(うえき えもり)が「自由は土佐の山間より出ず」と機関誌の創刊号に記しました。これは高知県の詞(ことば)として、県民の誇りとして石碑に刻まれています。ちなみに植木枝盛は「民権かぞへ歌」の作詞も行いました。

150年ほど前の自由民権運動は、リズム感や教養を感じさせる言葉に溢れていたのだと感慨深いものがあります。1894年に始まった日清戦争によって日本は帝国主義に大きく傾き、いくつかの戦争を経て、1945年の敗戦でようやく「誰もが平等である」という憲法を手に入れられたことを忘れないようにしたいものです。

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