Writingsコラム
岩手県 宮澤賢治が夢見た「イーハトーヴ」

童話「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」、詩「雨ニモマケズ」など、宮澤賢治は岩手県を代表する作家です。賢治が想い描いた架空の理想郷「イーハトーヴ」と郷里・岩手県との関係を探っていきましょう。
1896年、宮澤賢治は古着販売や質屋を営む商人の長男として、花巻市に生まれました。父親は家業以外にも投資などを行っている資産家で、幅広い人脈を持ち、地方政治にも関わりがある地元の名士。賢治の趣味に理解を示し、創作活動も支援していました。しかし賢治は深く信仰する法華経や農民の境遇や環境問題への意識の強さから父親への葛藤を抱えており、愛憎半ばする存在だったようです。
37歳という若さで早逝した賢治ですが、存命中はほぼ無名の存在でした。1924年詩集「春と修羅」や童話「注文の多い料理店」を自費出版しましたが、発行部数は1,000冊ほど。残念なことに、ほとんど売れなかったようです。死後、詩人・草野心平を中心とした人々の手で作品が刊行され、知られるようになりました。執筆の傍ら、農業指導者として、母校・花巻農学校での経験を活かした取り組みを重ねていましたが、どちらも金持ちの道楽と見られていたようです。
そう思われてしまったのは、賢治が趣味に注ぎ込む金額の多さのせいかもしれません。が、レコード鑑賞、チェロやオルガンを習った音楽の経験は、作品に見事に反映されています。「風の又三郎」の冒頭「どっどど どどうど どどうど どどう」という風の音や、「やまなし」では「かぷかぷ」「ゴギノゴギオホン」といった泡や水音など、リズム感あふれる独自のオノマトペを作り出しました。それらは全作品に溢れ、美しく不思議な賢治の世界を構成する一つの柱です。
生まれ育った岩手の風景も、賢治は独自の視点で見ていました。例えば、花巻市を流れる北上川西岸に広がる白い泥岩層は、水位が下がると姿を現します。これがイギリスのドーバー海峡の白い海岸を思わせると、憧れを込めて「イギリス海岸」と名付けました。残念ながら現在は河川管理が進んで水位が下がらなくなり、賢治が愛した風景とは異なってしまっています。が、命日である9月21日に、気候が安定してダムの水量調整ができる場合、昔の位置まで水位を下げる試みがなされています。
亡くなるまで、賢治は岩手の風景を通して夢見た理想郷「イーハトーヴ」を創り出し、作品に織り込み続けました。その世界は岩手のみならず、丘や山を越え、東北全体、さらに遠い空の彼方まで広がる壮大なものでした。「永久の未完成これ完成である」と「農民芸術概論綱要」に書き記していることから、生命を燃え尽くす瞬間まで、頭の中で理想世界を作り上げ続けていたのでしょう。
宮澤賢治の世界は唯一無二のものとして、今も人々の心に影響を与え続けています。山や海、草原に清流など、豊かな自然に恵まれている岩手県。この地を旅することで、賢治が夢見た「イーハトーヴ」の風景をかいま見ることができるかもしれません。


