Writingsコラム

佐賀県 吉野ヶ里遺跡と「王国」

佐賀県を代表する吉野ヶ里遺跡は、日本最大の弥生時代の遺跡です。この時代にできてきた「クニ」の集落の全貌や、出土した遺物などで700年に渡る弥生時代の変化を知ることができる貴重な遺構です。そして吉野ヶ里は、女王・卑弥呼が治めた邪馬台国の候補の一つでもあるとか。佐賀から古代の王国へ、空想の翼を広げてみましょう。

前漢の「漢書」地理史に「倭人」の記載があり、後漢の光武帝から「漢委倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」という文字が刻まれた金印を送られたことから「倭」という国が紀元前1世紀〜紀元後7世紀にあったことがわかっています。その後の「魏志倭人伝」や「後漢書」「倭伝」に邪馬台国と女王・卑弥呼に関しての記述があり、ここが倭国の中心としてみられていました。そうしたことから、日本列島のどこかに邪馬台国があったことは間違いないのですが、どこにあったかという説は、数えきれないほどあります。

有力視されているのは、奈良県をはじめとした西日本のどこかにあるという畿内説。ですが、九州北部のどこかにあったとされる九州説も根強い支持があります。そうしたことから大規模集落が存在した佐賀の吉野ヶ里は、九州説の中の有力候補となっているのです。

多数の説が生まれた理由は「魏志倭人伝」の邪馬台国へ至る道筋の描写が曖昧なためです。そこで絞り込みを進めるため、邪馬台国では朱(硫化水銀/辰砂)が多用されていたという記述をもとに、朱の産地に注目して位置を特定していこうという手法もあります。確かに吉野ヶ里遺跡では鉱山も近くにあります。

朱は顔料としてだけではなく、防腐剤、防虫剤としても使われていました。加熱して硫黄を分離すると水銀が出来上がります。朱と水銀は、古代中国で不老不死の原料として珍重されていました。魏の国に対して「丹(に)」を献上したという記録もあります。ちなみに丹は朱を含む赤色の土の総称で、硫化水銀(水銀)をはじめ酸化鉄(ベンガラ)も含まれます。

現代人としての視点で見れば、朱や水銀を皮膚につけたり飲むなど、有害でしかありません。秦の始皇帝は晩年、不老不死を願って臣下に水銀探すよう命じ、集められた水銀を薬と信じて飲んだとか。それが災いして49歳で亡くなりました。

さて、始皇帝が皇帝となる前の青年期を描いた漫画「キングダム」の作者である原泰久さんは佐賀県の出身です。現在、佐賀県では連載20周年記念のコラボ企画が大々的に展開されています。空港は「佐賀キングダム空港」に。東与賀町の干潟よか公園の防波堤ではコミックス1〜78巻まで全ページが公開され、「キングダム読破堤」と呼ばれています。古湯温泉では街頭フラッグやキャラクターパネルが飾られています。なぜ古湯温泉かといえば、不老不死の薬探しを命じられた始皇帝の部下・徐福がこの温泉を発見したと言われているからです。ちなみに徐福は、厳しい始皇帝の元に帰るつもりはなかったようで、日本に来てからゆるゆると過ごしていたとか。それを知ると、徐福の人間らしさに思わず微笑んでしまいます。

ダイナミックに動く中国の戦国史や邪馬台国の謎。どちらも古代史の始まりですから、歴史に触れ直すきっかけになりやすいかもしれません。暑い季節ですから、涼しい室内で知的好奇心を満たしてみませんか。

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