Writingsコラム

モノ余りの時代に本物を知ること(2)

あらゆる商品やサービスが生まれ、消えていくのが現代です。
食料品では、一次産品のもともとの姿を知らずとも消費が可能であり、衣類では、伝統ある高品質な本物でなくとも、それを身につけているような気分に浸れる安価な代替品が売られています。
企業間の競争は激しく、スマホやタブレット端末が分かりやすい例ですが、似たようなデザインの製品は今やたくさん出回っています。

ある製品カテゴリーにおけるリーダー企業とそれに追随するフォロワーのどちらが良いのかを論じたり、懐古的な主張をすることが本コラムの目的ではありません。「ある物事の出所や本物のそもそもの姿を知らない、知らなくても特に支障ない」というケースが消費生活において確実に増えており、その影響について考えてみることが大事なのではないかと思うのです。
消費者の立場としては、旬の存在やもともとの姿形や質感などは、機能的な観点では知らなくても良い要素かもしれません。しかし、経済や産業を下支えしている文化や教養といったものは、本物やオリジナルのもつ価値への理解と密接な気がするのです。知らなくたって特に支障なく消費生活を送ることはできますが、知っていた方が個人生活でも社会生活でも選択の幅や視野が広がるでしょう。
そして、商品やサービスを生み出す供給側においても、本物が何たるかを知り、実際に触れて感じることは、仕事を通じて希有な価値を生み出すことに繋がるでしょう。
当社が求人案件を取り扱うことの多い製品デザインの分野でも、感覚や感性、創造性といったデザイナーにとって必要となる本質的な能力は、意識的に本物と接し、物事を深く理解するために学び続けることで磨かれるのです。

アーカイブ

ページ上部へ戻る