Writingsコラム

「陰徳」について(3)

引き続き、伊集院静著『琥珀の夢』で取り上げられている「陰徳」について考えてみます。

人間が生涯を通して享受する主観的な幸福度には差がなく、幸せな体験と不幸な体験は同量ということを説いた書物や記事を時々目にします。その意味でも、陰徳からほど遠い生き方をしている人が勝者のように見えても、それは一時のもので真の成功ではないのかもしれません。

また、人は生きたように死んでいく、終末期に人生の価値を悟る、ということも言われています。本当はあのときああしたかったのに自分に嘘をついてしまった、本心と向き合わず逃げてしまったというような悔恨の念にかられるからでしょうか、あるいは、他者に対する過去のずるい行いや裏切りなどを贖罪するチャンスがもはや残されていないと気が付くからでしょうか。

ビジネスの競争が熾烈な現代においてはどうしても営利主義、売上至上主義になり、利益測定のスパンが短期的になってしまいがちですし、その傾向が評価される面もあります。もちろんビジネスの成長、発展には利益も売上も源泉として欠かせません。

しかし、常道から外れず後悔なく生きるためには、自分はなぜ働いているのか、仕事を通じてどのような人生を送りたいのか、ある行為の結果、何を得るかわりに何を失うのか、そして社会にどのような形で貢献し何を残したいのか等、時々立ち止まって内省することが大切なのでしょう。

『琥珀の夢』の主人公もしばしば長時間歩いたり、早朝に神社に詣でたりしながら思案を重ねていたそうです。陰徳を積んだその生き方と、「三方よし」を体現した会社の発展の歴史は示唆に富んでおり、ビジネスやひいては人生の本質は、時代は変われど今も昔も同じなのだと改めて思い至った次第です。

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