Writingsコラム

群馬県人の基礎教養、上毛かるた

群馬県に生まれた子供は必ず覚えるという上毛かるた。「つる舞う形の群馬県」「伊香保温泉 日本の名湯」「ネギとこんにゃく下仁田名産」「誇る文豪 田山花袋(たやまかたい)」など、群馬の名所や特産品、著名人などを取り上げた郷土かるたです。

上毛かるたは昭和22(1947)年、戦争で荒廃した光景を目の当たりにした子供たちに、明るく希望の持てるものを、という思いから作られました。絵札は小見辰男、札の裏に書いてある解説は丸山清康が担当。その中でも群馬の人口を表す「力を合わせる200万」は、人口に合わせて数字が変わるために、世代によって記憶している数字が違っているのだとか。

子供会などでの熱心なかるた教育により、44枚の札を全て暗記している群馬の子供たちですが、たまに「この人誰?」という現象も起きているようです。例えば「老農(ろうのう)船津傳次平(ふなつでんじべい)」。船津傳次平は、幕末1832年に生まれた地域固有の農法に西洋農法を取り入れた混合農法を広めた人物です。女性主体で行われていた養蚕を男性も担うべきだと提唱し、群馬の養蚕を推進しました。老農とは経験豊かで、高い農業技術を身につけた農業指導者のこと。どこへ行っても農民と同じ身なりで、気取らぬ人柄だったとか。地域農業の発展に貢献した偉大な人物ですが、残念なことに子供の関心はさほどひかないようです。

かるたといえば競技会がつきものですが、上毛かるた大会は誕生した翌年の1948年から開催されています。地区予選から始まり、市郡予選、県大会と進みますが、県大会では最初の1文字が読み上げられると即座に札が取られるという、ハイレベルな戦いが繰り広げられます。激戦を勝ち抜いた優勝者は、地元新聞やテレビなどのメディアで大きく取り上げられるのだとか。

70年以上の伝統があり、親子三代で親しまれている上毛かるたですが、少子化のために競技人口が減っているようです。冬になると子供会主体で練習会が行われていたものですが、現在、子供の数が少なくて行われていない地区もあるとか。将来、上毛かるたを経験しない小学生が出てくるかもしれないと、この件は大いに憂慮されています。コロナ禍もあり、大会の中止も続いているようです。以前のように活気ある大会が開催されるようになれば、子供たちの練習にも熱が入ることでしょう。その日が早く来るようにと、祈らずにはいられません。

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