Writingsコラム
愛知県にあるお釈迦様の骨

意外なことに愛知県は、4,600という国内最多の寺院数を誇ります。家康の九男であり、尾張徳川家の藩祖である義直の代からから、ずっと浄土宗が信仰されていますが、特定の宗派の寺が群を抜いて多いというわけではありません。尾張徳川家はあまり宗派に囚われることなく寺社保護政策を行い続けていたためと、交通の要所である名古屋への人口流入により寺社が増えていったのだと言われています。
数多くある愛知県の寺院中で、なかなかの存在感を放つ寺があります。名古屋市内にある覚王山日泰寺(かくおうざん にったいじ)で、ここには日本で唯一、お釈迦様の骨である仏舎利(ぶっしゃり)があるとされています。開山は1904年と歴史は割合に浅く、どの宗派にも属していません。運営は、天台宗、浄土宗西山深草派、臨済宗妙心寺派、曹洞宗、真宗大谷派、法相宗など19宗派の管長が3年交代の輪番住職制というスタイルをとっており、その面でも非常に変わっています。
仏舎利とは何かといえば、仏教の開祖である釈迦(別名:ブッダ、ゴータマシッダールタ)の遺骨です。亡くなった後、遺骨は8分割され、遺灰は2つに分けられて、周辺10箇所の寺院に分配されたと伝えられています。サンスクリット語で遺体や遺骨を表す言葉(sarira)が舎利の語源で、寿司飯をシャリというのも、火葬で細かくなった骨が米粒と似ていることから言われるようになったとされています。
仏舎利は、舎利塔という塔に納められたものの、再び取り出され、さらに細かく砕かれて8万あまりの寺院に配布されたとか。ここで話がややこしくなるのが、仏教を広めるため、舎利塔の前で供養した宝石類を舎利の代わりとして使ったことです。仏舎利は、あらゆる人々に現世利益をもたらしてくれると認識されていきました。さらに舎利の霊験はパワーアップし、あらゆる願いを叶える不思議な玉、如意宝珠(にょいほうじゅ)とみなされるようになります。
そんなご利益があるせいなのか、宗教物としての宿命なのか、全世界に散った「本物の」仏舎利は合計すると2トンあるとか、5トンだとか、諸説が飛び交っています。そうしたことは、イエス・キリストが磔になった十字架の木片を集めると船一隻分になるなど、他の宗教でもよく聞かれる話ではあります。そんな中、日泰寺の仏舎利が本物であるという理由は、歴史的発見に準拠しています。
1898年、ネパール国境に近い英国領インドのピーフラワー村で、シャカ族の貴人と思われる墓所から数々の埋葬品と人骨の一部が発見されました。これが8箇所に分骨された釈迦の遺骨の一つらしいという結論に達しました。埋葬品は大英博物館と、発見者の英国人、コルタカ(カルカッタ)・インド博物館の所有となり、遺骨は近隣の仏教国シャム(現タイ)王国に寄贈されました。さらに遺骨は近隣の仏教国ビルマ(現ミャンマー)とセイロンに分骨されますが、日本も「分けて欲しい」と申し出ました。1900年に寄贈が決定した後、宗派を問わない寺院である日泰寺が建立され、各宗派が交代で仏舎利をお祀りするということになったのです。
実は仏教学者・長井真琴(1881〜1970)によって、日本国内の仏舎利は全て偽物という調査結果が出ています。検分の結果、水晶やルビー、植物の種などで、全てが人骨ではなかったのです。これらのことから、人骨であり、経緯がきちんとわかっている日泰寺の仏舎利は「本物」であるとされています。そして日泰寺は、日本初の室内型の墓所を作った寺院でもあります。お釈迦様のそばで永眠したい場合は、4階建ての霊堂というマンション暮らしになることも付け加えておきます。