Writingsコラム

沖縄の食を彩る豚とヤギ

沖縄には独自の食文化があり、それが魅力の一つともなっています。亜熱帯に属するため、手に入りやすい食材が本州と違い、中国文化の影響から医食同源の理念も浸透しています。琉球王国の宮廷料理は中国や薩摩藩の使者の接待として発展していき、庶民が楽しむ祭りなどの行事食もバラエティ豊かです。そんな沖縄料理でよく使われる、豚とヤギにスポットを当ててみます。

豚の大量飼育が始まったのは江戸時代はじめの1605年。サツマイモとともに中国から持ち込まれました。それまで豚は、琉球王国の接待用として飼育されているだけで、庶民の食べ物ではありませんでした。饗応の食事を作る際には数が足りなかったため、奄美や沖永良部など他の島から集めて対応したそうです。大量に飼育できなかった理由は、時代的に食料が不足していたからでした。サツマイモの葉や茎は豚の飼料として使われ、イモは庶民のお腹へ収まるという循環ができ、明治期には国内飼育全国1位にまでになりました。

が、太平洋戦争で沖縄は焦土と化し、豚はいなくなりました。そもそも戦時中の食糧不足で豚の数は激減していました。戦後の養豚業を救ったのはハワイへ移民した沖縄の人々です。1948年、500頭の種豚がハワイからやってきて、4年後には養豚業は無事に復活を遂げることができたのです。

一方、ヤギは庶民の生活と共にある家畜です。琉球王国が最も栄えていた15世紀ごろに中国から伝わり、諸島で増えていったようです。オス・メス共にヒゲが生えているヤギは、ヒゲがあるという意味のヒージャーと呼ばれています。クスイムン(薬になるもの)とされ、疲労回復や滋養強壮になる貴重なタンパク源として食べられていました。結婚式や新築など、祝い事があると飼っているヤギを潰して料理を作って祝福するという、昔ながらの習慣もまだ残っています。また野草だけで育ってくれるため、ヤギは庶民にとって経済的な家畜でもありました。

ヤギも豚と同じように饗応の食材として使われていました。漢民族は豚肉を好みますが、清王朝を打ち立てた満州民族は羊やヤギ肉をよく食べていたからです。また薩摩藩が琉球に進出した際、仏教の普及活動を禁止したという経緯もあり、仏教による四つ足の動物を食べてはいけないという考えが根付くことはなく、沖縄の人々が肉を食べるのは当たり前でした。ちなみに牛や馬は、労役をする動物という考え方が主流だったので、牛の大量飼育が一般化するのは戦後になってからです。

生食は避けなければいけない豚肉と違い、沖縄ではヤギ肉は刺身で食べられています。若年層より年配者に人気があるようですが、ヤギ汁と共に、好きな人は大好きで、嫌いな人は大嫌いというのもクセが強いヤギ肉の評価です。

従来、ヤギは家庭で飼うものでしたが、現在では、石垣島で大量飼育がなされています。県内唯一ですが、これで一定数の安定供給がなされたため、沖縄らしさを象徴するヤギ肉を取り入れたメニューが有名リゾートホテルで採用されました。好きな人は大好物になるというヤギ肉ですから、これを機に注目が集まるのかもしれません。通販でもパウチされた生肉や加工されたヤギ汁などが購入できますから、まだ食べたことがなければ、試してみてはいかがでしょうか。

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