Writingsコラム
長野県の縄文時代

長野県といえば、登山が好きな方なら八ヶ岳や槍ヶ岳など数々の名山を思い浮かべるかもしれません。海に面していないものの、山や森が占める面積が8割という自然豊かな県です。名物は蕎麦や野沢菜漬け、豊かな森林資源を生かした木工品などですが、実は縄文時代には皆が憧れる黒曜石の産地であったことをご存知でしょうか。
縄文時代は狩猟社会で、石はナイフとして使ったり、矢尻にしたりと、生活に欠かせないものでした。長野県の諏訪湖に近い星ヶ塔(ほしがとう)遺跡からは、大規模な黒曜石採掘跡が見つかっています。40kmほど離れた八ヶ岳周辺の集落からやってきて、山の中でキャンプ生活をしながら黒曜石を掘り出して集落に持ち帰り、加工を施した後、他地域へ流通させていたようです。他にも黒曜石が採れる地域はありますが、星ヶ塔遺跡で採取されたものは透明度が高く、非常に美しかったため、権力の象徴として各地の有力者のもとで所有される、いわば高級ブランド品として名高かったようです。
1万年ほど続いた縄文時代ですが、現在の平均気温よりも2〜5℃高い気候最適期(クライマティック・オプティマム)と呼ばれる高温期がありました。縄文初期にあたる今から7,000年前のことです。その頃の関東平野の低地部はほぼ海で、利根川や渡瀬川流域も奥東京湾と呼ばれるほど、陸地が後退していました。海に没した平野から内陸部を目指した人が諏訪湖にたどり着いて集落を形成したため、諏訪湖周辺の人口はとても多かったようです。近くの霧ヶ峰や八ヶ岳では黒曜石が採れたので、さらに繁栄する要因が加わっていたと考えられています。
長野県全体で遺跡の数は14,489。その中でも縄文時代の遺跡数が7,970、弥生時代は2,099と、約7割が縄文〜弥生時代に集中しています。人口が多かったのは間違いなく、農耕はしないと言われている縄文人であってもクリやクルミの植林はなされていたとか。出土される土器や土偶の数もたくさんあり、国宝である「縄文のビーナス」「仮面の女神」も八ヶ岳山麓の茅野市にある遺跡から出土されています。こうした土偶や土器類も質が高かったため、黒曜石同様に全国の有力者に渡っていたことが確認されています。
今から7,000年ほど前の縄文中期、この辺りの賑わいは全国屈指のものであったようで、これが約1,000年間続いたと言われています。が、気温は徐々に下がり始め、縄文中期後半、八ヶ岳周辺は現在の平均気温よりも1℃低くなってしまいました。そうなるとクリやクルミは育たず、寒さに強いトチの実の活用にシフトしていきました。さらに悪いことに富士山の噴火も加わり、八ヶ岳周辺の繁栄は途絶えました。
「縄文を知りたければ、まず諏訪へ行け」と縄文好きに言われているように、諏訪湖周辺、八ヶ岳周辺は縄文遺跡がたくさんあります。博物館も充実しており、ガラスのように透き通って輝く黒曜石を、他産地ものと見比べてみたり、デザイン的に勢いのある土器や優しい表情の土偶を愛でたり、土器作りのワークショップに参加したりと、縄文の知識がなくても楽しめそうです。