Writingsコラム
さくら、ぼたん、花じゃない!?

桜の季節が終わり、4月中旬から5月にかけては春牡丹が楽しめる季節です。そうした花の名も、ところ変われば食べ物の名前であることをご存知でしょうか?
勘の良い方は、「さくら」は馬肉の別名であることに気付いたかと思います。なぜ「さくら」なのかは諸説あり、馬肉の切り口や切り身が桜色だから、幕府直轄の牧場が千葉県佐倉市にあったから、などと言われています。また馬肉は「けとばし」とも呼ばれる場合があり、これは外敵を蹴飛ばして攻撃することからついた名のようです。
なぜ肉が別名で呼ばれていたかといえば、肉食は仏教の教えに反しているからです。奈良時代、仏教に帰依した朝廷が牛馬の殺生を禁じる詔を何度も出したため、肉食は禁忌となっていきました。特に牛馬は食べる対象ではなく使役するものとされ、食べてはいけないものとされました。ただ、野生のキジやカモなどの鳥の肉、猪や鹿などの獣肉を食べることはあり、栄養補給目的の「薬」としては獣肉が食べられていました。江戸時代が終わるまで、肉食が禁忌という習慣は続きます。というわけで肉の名前は隠語で呼ばれるようになったのです。
獣肉の総称は「山くじら」ですが、獣肉の中では一番美味だとされる猪肉が「山くじら」と限定されることもあります。歌川広重の名所江戸百景「びくにはし雪中」に大きく描かれている「山くじら」の看板の店は、猪肉料理を扱っていたようです。くじらは魚の分類で、食べてもいいとされていたので、山にいる猪の肉は「山くじら」となったようです。
また猪肉は「ぼたん」とも呼ばれています。これは「牡丹に唐獅子」という慣用句に、掛け言葉として「獅子(しし)」と「猪(いのしし)」が組み合わされたことから生まれました。東京では創業300年以上の老舗「ももんじや」で「ぼたん鍋」が今でも食べることができます。「ももんじや」は獣肉を扱う肉屋のことで、同店では他に鹿の竜田揚げや熊汁などが楽しめるようです。
同じく、組み合わせから名付けられた「もみじ(紅葉)」は鹿肉のことです。花札に描かれている札に、紅葉と鹿の組み合わせがあります。そこから生まれた鹿肉の別称だと言われています。うさぎ肉の「月夜(げつよ)」も、昔から言われている組み合わせ、月と兎が由来になります。兎は鳥と同じ扱いで、両者は「一羽、二羽」と数え方が一緒。ということで、兎肉は肉食が禁じられている僧侶以外は食べても大丈夫な食材でした。
鶏肉の「かしわ(柏)」という別名は、関西や九州地方を中心に定着しているので、割合よく知られているかと思います。肉の色が紅葉した柏の葉に似ている、鶏の羽ばたく姿が神社で打つ柏手(かしわで)に似ている、朝廷の料理を担っていた部署「膳部(かしわべ)」からきているなど、これも決定的な由来はわかっていません。鶏肉もまた食べることを許された食材で、主に水炊きで食されていました。
肉食が全面解禁となるのは、明治以降のことですが、獣肉はともかく、今まで禁じられていた牛肉の心理的ハードルは高かったようです。が、牛鍋(すき焼き)が心の壁を取り払ったとか。やはり美味しいものには抗い難いようです。