Writingsコラム

紅茶と英国人

ティーサロンやカフェなどで、紅茶と共にケーキやサンドイッチをゆっくりと楽しむ午後の時間、アフタヌーンティー。ここ数年でヌン活やヌン茶などと呼ばれ始め、華やかな写真がSNSに盛んに投稿されています。アフタヌーンティー発祥の地である英国の紅茶と社交の歴史をご紹介します。

ヨーロッパでお茶が飲まれるようになったのは、17世紀中盤にオランダ商人が中国から運んできた中国茶からです。当初は発酵の浅い緑茶やウーロン茶でしたが、ヨーロッパでは発酵が進んだ紅茶が好まれるとわかり、流通するお茶は紅茶がメインとなりました。

英国で紅茶が飲まれるようになったのは、1662年に英国王チャールズ2世に嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが、当時貴重で高価だった中国産のお茶と砂糖を持ち込んで、毎日飲むという習慣を披露したことがきっかけでした。

大航海時代、先駆者として富を築いたポルトガルでしたが、国力が衰え、1581年スペインに併合されてしまいます。が、1600年アルマダの海戦で英国に負けたスペインが、その後凋落していったため、1640年にポルトガルは再び独立。スペイン対策のために、英国との同盟を強化しようとした婚姻だったせいか、キャサリンは紅茶と砂糖でポルトガルの優位性を高めたかったのでしょう。

アフタヌーンティーの習慣は、1840年頃にベドフォード公爵夫人アンナ・マリアが開催したお茶会から始まりました。当時の貴族は1日に2食で、朝9〜10時頃に朝食を食べた後、夜8
〜9時くらいに社交を兼ねた夕食をとるのがスタンダードな生活でした。このタイムスケジュールであれば午後3〜5時くらいにお腹が空いてしまいます。前々からベドフォード公爵夫人は、個人の習慣としてこの時間帯にお茶やお菓子を食べることにしていたのですが、自分の習慣を貴婦人たちの社交の場に進化させました。ちなみに公爵夫人の肖像はキリンの「午後の紅茶」のシンボルマークとなっています。

男性の社交の場はコーヒーハウスでした。貴族だけではなく、爵位の持たない中流階級の紳士たちがコーヒーを楽しむための場所が、1650年、大学の街オックスフォードで生まれ、1700年前後にはロンドンに数千軒もあったと言われています。経済や科学などが語られ、議論の場として大いに盛り上がりました。が、19世紀に入ると紅茶が好まれるようになり、紳士たちの社交の場は階層や職業別に細かく分岐したクラブへと移っていきます。

現在、主な紅茶の生産地はインドやセイロンですが、これは英国が植民地で栽培を促進させていったからです。1823年インド・アッサム州で自生種が発見され、品種改良が進みます。1841年にはダージリン地方で中国種の生産が始まり、生産量が上昇。スリランカやバングラデシュでも生産が開始し、19世紀末には紅茶の産地は中国から完全に入れ替わりました。

庶民が午後に飲むのはハイティーと呼ばれます。アフタヌーンティーではサンドイッチやスコーン、ケーキなどの軽食止まりですが、ハイティーは肉や魚などのメイン料理も含みます。食される時間も午後5時以降で、労働後の食事、つまり夕食を示します。大量生産で紅茶の値段が下がり、庶民でも紅茶を楽しめるようになったためにできた食習慣です。

英国人が1日に飲む紅茶は平均で4〜5杯、多い人で9杯とも言われています。お茶の時間はティータイム、ティーブレイクと呼ばれており、生活に根ざしています。三段重ねのトレイに色とりどりのお菓子が並ぶ優雅なアフタヌーンティーは、貴族発祥のせいか特別なもので、これは日本の感覚と変わらないようです。

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