Writingsコラム

京都のゴミ事情、今昔

碁盤の目のように整然と直線道路が交差した京都の街。794年に作られた平安京の面影が道路に現れていますが、1,200年以上経った今と昔では、ずいぶん形を変えました。京都といえば色々と思い浮かぶものがありますが、今回は生活に根ざしたゴミ処理から、都の変遷を見てみたいと思います。

貴族社会のため、雅な印象を抱く平安京ですが、道端は汚物だらけだったと言われています。その前の都である平城京は、84年間京都として機能していましたが、平安京に遷都したのは、ゴミ処理が追いつかなくなったからだとか。

実は平安京の貴族の屋敷には、トイレがありませんでした。屏風や御簾で区切った空間に樋箱(ひばこ)を置き、その中に用を足していたのです。中身の始末は下級身分の女性の仕事でしたが、屋敷の外にどのように出していたのかは不明。庶民は樋箱を使わず、道端で済ませていた模様です。一応、掃部寮(かもんのりょう)という掃除をする役職がありましたが、担当するのは宮中だけ。あらゆるものをポイ捨てにしていたため、市街を綺麗にせよという命令は何度か出ていたようですが、衛生レベルはかなり低かったようです。ようやく鎌倉時代に汲み取り式のトイレができ、事情は徐々に改善されていきました。

1255年に完成した、現在の京都市東山区にある東福寺の「百雪隠(ひゃくせっちん)」が、現存する日本最古のトイレとなります。禅寺ではトイレのことを東司(とんす)と呼びますが、東側はトイレの定位置だったためです。百雪隠は大正時代まで現役で活躍したそうです。何事も無駄にしないという禅宗の教え通り、排泄物は堆肥にされ、寺の敷地内にある畑に使われていました。

さて、現在の京都市のゴミは2015年に施行された「しまつのこころ条例」で、分別・リサイクルを徹底させ、2R(に・あーる)を推進しています。2Rはゴミを出さないリデュース(Reduce)、再利用するリユース(Reuse)、2つのRです。「しまつのこころ」というのは、京都の人々に根付いている、古い着物を再利用したり、食材を無駄なく使い切るなど、物への始末に責任を持つ精神のこと。

「京の着倒れ」と言われるように、着るものにお金をかける京都人ですが、よそゆき(ハレ)と普段着(ケ)の区別をはっきりとつけています。ハレの日には上質な「ほんまもん」を身につけ、普段着はちょっとした傷がある訳あり品などを安く手に入れ、慎ましい中にも自分なりの着こなしを楽しむ。ハレの日に備えて「ほんまもん」を長持ちさせるための手入れも怠らない。そうした考え方が「しまつのこころ」のベースにあります。

京都市では2000年のピーク時に82万トンだったゴミ総量が、2016年には42万トンと49%減を実現しています。さらに今、京都市では家庭で出るゴミの中で最も多い生ゴミを減らすために「使いキリ」「食べキリ」「水キリ」3つの「キリ」を合言葉に運動を実施中で、5つあった焼却施設を3つに減らし、将来的には2施設で処理できるよう、減量に取り組んでいます。住む人の心に訴求していく京都市の取り組みは、全国の自治体が学んでいくべきでしょう。

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