Writingsコラム

山形県・修験の山々

山形県の中央部には標高1,985mの月山(がっさん)がそびえたっています。その西側に寄り添うように標高1,500mの湯殿山(ゆどのさん)、やや北側の位置に標高414mの羽黒山(はぐろさん)があり、この三つの山を総じて出羽三山(でわさんざん)と言います。ここは信仰の対象でもあり、山伏の修行の場としても知られています。特異な魅力にあふれた出羽三山の歴史を紐解いてみましょう。

山形県の庄内地方は、その昔、出羽国(でわのくに)と呼ばれていましたが、出羽三山の歴史は、そう呼ばれる前に遡ります。飛鳥時代、蘇我馬子に父を殺された蜂子皇子(はちのこのおうじ)が、聖徳太子とも言われる厩戸皇子(うまやどのおうじ)にかくまわれ、その後、船に乗って日本海を北上し、現在の山形県鶴岡市あたりの海岸にたどり着いたという話から始まります。上陸した蜂子皇子は三本足の黒い鳥に導かれ、山に上り、修行の末、出羽(いでは)神社を作りました。以来、その山は羽の黒い鳥(八咫烏・やたがらす)にちなみ、羽黒山と名付けられます。

次に蜂子皇子は月山に登り、死後の世界を体験。続いて登った湯殿山では新しい命を得たかのような生まれ変わり体験を得ます。この故事から出羽三山を巡ることは「生まれ変わりの旅」をすることだと言われるようになりました。羽黒山は現在、月山は過去、湯殿山は未来を象徴しています。

湯殿山の信仰の中心である湯殿山神社は「語るなかれ」「聞くなかれ」を教えとし、本宮は撮影禁止、土足厳禁で、参拝時は裸足になることが求められています。ですが、三山巡りの最終地となるため、下山後は、地酒や山の幸や海の幸を楽しむ「精進落とし」を満喫するのがお決まりだとか。江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」と言われて参拝者が多く訪れたようです。松尾芭蕉も「おくの細道」で死と再生の世界、出羽三山について書き記しています。これを機に観光案内書も出版されたため、出羽三山詣での人気に火がつき、一時は江戸から15万人の参拝者を集めたと言われています。

パワースポットとしても有名な出羽三山ですが、三つの山、全てに登ることはなかなか難しいものですが、ご利益は得たい。昔から同じことを考えた人はいたようで、羽黒山の山頂に三つの山神を合わせて祀る三神合祭殿があり、冬の間も参拝可能なのだとか。月山と湯殿山は冬季には閉山されるので、忙しい旅行者はここを訪れるのも手です。

一方、山伏の修行に近道はありません。蜂子皇子のように一度自分をリセットする儀式を行い、新しく生まれ変わるために広範囲に及ぶ山の拝所を巡り、籠堂では勤行に励みます。厳格に決められたスケジュールでは、時には寝ない、食べないということもあり、極限まで追い込むことで五感が研ぎすまれ、特別な力を得ることができるということです。一般の人も男女、国籍関係なく受け入れられているようですから、興味のある方は調べてみてはいかがでしょうか。

冬は雪に閉ざされる出羽三山ですが、雪が溶けると絶景が望めます。出羽三山を全て登っていくことは大変そうですが、温泉や食材に恵まれた庄内地方を楽しむことも含めて、無理のない範囲で旅してみたいものです。

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