Writingsコラム
プリツカー賞のこと、あれこれ

建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞。2024年度の受賞者は山本理顕(りけん)。これで日本人の受賞者は9人で、世界最多の受賞者数となっています。日本人建築家が受賞することで耳にする機会の多いプリツカー賞について、少し解像度を上げていきましょう。
プリツカー賞は1978年、アメリカのホテルチェーン、ハイアットの創業者一族であるジェイ・プリツカーとシンディ・プリツカー夫妻によって創設されました。毎年1名か1組、世界中で活躍する、存命である建築家を対象に、業績をたたえる賞です。審査対象は世界中に渡り、選考委員である8名前後の著名建築家で構成される審査団が、推薦された建築家の全作品を現地で見聞した後、選出されます。授賞式は5月に行われ、賞金は10万ドルと銅製の記念メダル。毎年、過去の受賞者や作品にちなんだ土地が選ばれています。
建築界の権威ある賞は他にも王立英国建築家協会主催のRIBAゴールドメダル、アメリカ建築家協会のAIAゴールドメダルがありますが、これらは写真選考で、現地で作品を見てから決めるのがプリツカー賞の特徴です。「建築界のノーベル賞」という表現は、1988年ニューヨーク・タイムズが「建築家にとってプリツカー賞は科学者や作家にとってのノーベル賞のようなものだ」と記事にしたことから始まりました。
授賞式は毎年、過去の受賞者や作品にちなんだ土地が選ばれます。2017年には東京・迎賓館赤坂離宮で開催されました。それまでに建築ユニットを含み、6名の日本人が受賞しており、日本唯一のネオ・バロック様式の宮殿である迎賓館が選ばれたのでしょう。山本理顕が表彰された2024年の授賞式の会場は、アメリカのシカゴ美術館でした。
第1回の受賞者はアメリカ人建築家のフィリップ・ジョンソンで、森の中に建つモダニズム建築「ガラスの家」が有名です。以降、1969年に丹下健三が日本人初の受賞者となり、1993年槇文彦、1995年安藤忠雄、2010年建築ユニットSANAAのメンバーである妹島和世と西沢立衛、2013年伊東豊雄、2014年坂茂、2019年磯崎新が選出されています。これまでの45回のプリツカー賞の歴史の中、日本人受賞者が最も多くなっています。
受賞者が多い理由としては、他国に比べ日本は大学の研究室や建築事務所で、次世代の才能を秘めた人材が数多く育てられているためではないかと言われています。例えば丹下健三事務所で学んだのが磯崎新。実践的なプロジェクトや国際コンペへの参加が早いうちに始まり、日本特有の持ち家重視の価値観や、長期使用にこだわらず、老朽化した建物は新しく建て直してしまうことが多いため、現場経験を積むことができるのも大きな要素だとか。他国に比べ、一級建築士の数が多いというのも受賞者増の要因の一つのようです。
2024年受賞者の山本理顕は、私的空間と公的空間を近しいものとして捉え、1950年代に始まった集合住宅の個の概念を、開かれたものとして構築し直しています。プリツカー賞の選考基準も2010年くらいから変わっていき、芸術性を全面に出すよりも、アジアの建築家が注目され、低予算でコミュニティのつながりを大切にしたデザインが評価されるようになってきました。現在の基準にぴったりなのが山本理顕の作品群だったといえます。2025年もこの傾向が続くのか、それとも違う基準が用いられるのか、今から楽しみです。