Writingsコラム

日本の転換期と百貨店

小売業の象徴として、百貨店はいつも注目の的です。今後の情勢を推し量る意味でも、百貨店業界は注目されていますが、そもそも百貨店という販売形式は、呉服店の営業不振から脱却しようと、大幅な業態転換を図ったことから始まっていました。

日本で最初の百貨店は三越。1905(明治37)年元旦の広告で「デパートメントストア宣言」と銘打ったことで、日本で百貨店という営業形態が始まったとされています。三越は三井の呉服部門が事業不振のため、分離したことから生まれた会社です。三井の「三」と、呉服店の屋号・越後屋の「越」を組み合わせて名付けられました。

さかのぼって三井の創業は、伊勢国・松坂出身の商人、三井高利(1622〜1694)が14歳で江戸に下って始めた木綿事業から。松坂を基点に財を蓄えていった高利は、52歳の時に江戸で呉服販売に着手します。当時の常識であった掛け売りなしの現金販売で、経済成長著しい17世紀の江戸で大きく業績を伸ばしました。

成長するに従い、三井は幕府の御用金を引き受けることになり、既存の両替事業も拡大していきます。呉服だけではなく、金融部門も順調に成長していったのです。そして幕末には、これまで通り幕府への公金負担を行う一方、倒幕の一大勢力となる薩摩藩への財政支援を行っていたため、幕府崩壊後、明治政府との関係は非常に強固なものとなりました。

そんな状況の中、三井の呉服部門は従来の優良顧客を社会変動で失うことになり、業績不振に喘いでいました。そういった理由から、呉服部門は三井から切り離され、新たに百貨店の「三越」として業態を転換することになったのです。

それから100年あまり。三越は競合店、伊勢丹と合併し、三越伊勢丹ホールディングスとなりました。さらに今、百貨店を取り巻く状況は大きく変わりつつあります。近い将来、時代に合わせて生まれ変わった、新しい形の百貨店を目にすることになるのでしょうか。

アーカイブ

ページ上部へ戻る