Writingsコラム

島根県・隠岐諸島にいる神々

島根県にある出雲大社では、年に一度、全国から神様が集まり、会議を開くそうです。他にも熊野大社や八重垣神社、須佐神社など、県内にはたくさんの有名な神社があります。さらに島根半島から北へ60kmほど離れた場所にある隠岐諸島にも、大勢の神様がいる模様です。どうしてなのか、理由を探ってみましょう。

隠岐諸島は180もある大小の島から成り立っていますが、人が住んでいるのは4島。島前(どうぜん)と島後(どうご)の2つの地域に分かれていて、島前は西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)、島後は隠岐諸島最大の島である隠岐の島(隠岐の島町)を指します。隠岐は「古事記」では、淡路島、四国に次いで3番目にできた島だと言われています。

人が住む隠岐4島には現在100以上の神社があります。江戸時代には300ほどもあったとか。明神大(みょうじんだい)という格の高い神社が島根県には6社あるのですが、隠岐には4社(伊勢命神社、水若酢神社、宇受賀命神社、由良比女神社)もあります。ちなみに残りの2社は出雲大社と熊野大社です。

これだけ神様が祀られているのは、隠岐諸島が大陸への入り口で人の行き来が多かったせいだと言われています。朝鮮半島から出航すると、対馬海流の影響で隠岐に至る確率が高くなります。さらに江戸時代の北海道と大阪を結ぶ北前船の航路であったため、日本海が荒れる冬前に瀬戸内海に入れなかった船は、隠岐で冬を越したとか。また、最大の島である隠岐の島では黒曜石が豊富に採れたため、昔から人が集まってきたという歴史もあります。周辺は豊かな漁場でもあるので、船乗りが多く、海難除けを願う人も多かったでしょう。人が増えれば頼りにする神様も増えていく。そんなことで神社が増えていったようです。

隠岐は遠流の島でもあったため、中ノ島に流された後鳥羽上皇(1180〜1239)が亡くなった際は隠岐神社に祀られました。伝統的に隠岐は高位の貴人が流された場所です。対馬海流の影響で冬も過ごしやすく、湧き水もあって稲作もできるのですが、都からかなり離れていて、たやすく戻ることができません。そういった理由で貴人の島流し先として選ばれていました。隠岐で亡くなった後鳥羽上皇は無念だったでしょうが、西ノ島に流された後醍醐天皇(1288〜1339)は、島を脱出し、鎌倉幕府が滅ぶと京都に戻っていきました。

隠岐に流されたものの、京に戻った貴人の一人に小野篁(おののたかむら802〜853)がいます。遣唐使に任じられたものの、断ったために島流し。歌人としても有名ですが、昼は官吏、夜は閻魔大王の元で裁判の補佐をしたという伝説があります。非常に有能であったものの、道理が通らぬことに対して猛然と抗議するタイプの人だったため、島流にあったり、奇妙な伝説が生まれたようです。

隠岐は自然も素晴らしく、2013年にはユネスコのジオパークに認定されました。日本海に侵食された断崖や美しい海など、独自の絶景が魅力です。あまり見られない自然を楽しみながら、そこに住まう多種多様な神様をめぐる旅をしてみたくなります。

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