Writingsコラム

サフラジェットって何?

サフラジェットという言葉を聞いたことがあるでしょうか。名画や史跡を汚したりする活動家の行動の原点はサフラジェットだと言われています。日本人には馴染みの薄いサフラジェットとは、いったい何なのかをお伝えします。

映画やミュージカルで知られている「メアリー・ポピンズ」の物語の舞台は1910年頃。ロンドンに住むバンクス家の子供たちの世話係(ナニー)メアリー・ポピンズが、魔法を使ってバラバラだった家族の絆を取り戻す話ですが、子供たちの母親であるバンクス夫人はサフラジェットという設定です。作品の中では、家の中のことよりも選挙権運動に夢中な、少し身勝手な人として描かれています。

サフラジェット(Suffragette)は女性参政権活動家と簡単に訳されていますが、イギリスで女性参政権を求めて活動していた団体は複数あり、女性参政権協会全国連盟(NUWSS)として連帯していました。これらの活動を行う人はサフラジスト(suffragist)と言われ、選挙権(suffrage)が由来となっています。サフラジェットはこれらの団体の中でも特に過激な活動をする人で、複数形ではサフラジェッツ(suffragettes)。~etteは取るに足らない人という意味合いがあり、当時の男性新聞記者がからかいを込めて命名したと言われています。

イギリスの女性参政権運動のきっかけは、1832年の第一次選挙法改正からです。ここで貴族に加え、富裕層の男性に選挙権が与えられると定められました。この法律で、女性に参政権がないことが明確にされたのです。1867年の第二次選挙法改正でも、1884年の第三次選挙法改正においても男性の参政権の範囲が広がっただけで、女性に参政権は認められませんでした。ここから婦人参政権運動が活発になります。

中心となったのはエメリン・パンクハースト(1858〜1928)です。14歳の時から女性参政権活動を始め、弁護士の夫リチャードと結婚後は、共に活動をしていました。1903年「女性は法律を破りたいのではなく、法律を作りたいのです」と宣言し、女性社会連合(WSPU)の方針を確定し、運動を幅広い層に広げました。5人の子供を産み、3人の娘が両親と共に活動に尽力します。

1905年、女性活動家が自由党議員の演説会で女性参政権に関する質問をしたところ、男性に取り囲まれ、難癖のような微罪で逮捕されました。この不当さに活動の勢いは高まりますが、権力側の反発も高まります。最大の壁は自由党党首で1908年に首相となったアスキス。彼の締め付け施策の反発としてハンガーストライキ、大規模デモが行われます。1910年11月18日、後にブラックフライデーと呼ばれるデモの一斉取り締まりが行われました。それを機に、サフラジェットの過激さが目立つようになります。1911年に火炎爆弾事件。1912年には窓ガラスを割る不服従運動。1913年には競走馬を殺して訴えるという過激行動。1914年にはベラスケスの「鏡のビーナス」という作品を切り裂くなど、エスカレートしていきます。

結局、第一次世界大戦(1915~1918)で、女性労働者が危険極まりない軍需工場で働いた功績が認められ、1918年の女性参政権獲得へと繋がったのは皮肉なことかもしれません。ただ、当時の女性参政権運動は、やり過ぎるという批判もあったにせよ、一定の理解が得られていたようです。けれども現在の名画を汚すなどの過激行動は、伝統的に市民運動に理解のあるヨーロッパでもほとんど支持を得られていないとか。主張を訴える手段も、時代によって変わっていくことを示しています。

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