Writingsコラム

復活を目指す鳥取の伯州綿

江戸時代、伯耆国(ほうきのくに)の名産品といえば「伯州(はくしゅう)綿」でした。鳥取県西部で栽培され、境港から出る北前船に積まれて全国各地へ運ばれた綿は、鳥取藩の主要財源として藩政を支えました。幕末に西欧各国から開国を迫られた際、幕府は国内産業を守るために綿に高い関税を課していたのですが、明治29(1896)年に関税が撤廃され、インドやネパール、中国、アメリカなど安い外国産が大量に流入し、国内の綿産業は急速に衰退しました。

綿栽培には、水はけのいい土地と強い日差しが必要ですが、鳥取砂丘に代表されるように鳥取は地質、気候の条件が揃っています。伯州綿は繊維が細く、強度もあり、保湿性と弾力性に富む良質な綿でしたから、近隣の弓ヶ浜地域の手工業品、弓浜絣(ゆみはまがすり)の材料として細々と栽培され続けていました。衰退して100年あまり経った2008年、境港市農業公社の指導のもと、耕作放棄地域対策と地場産業進行の一環として、綿栽培復活のプロジェクトが始動しました。

現在栽培されている伯州綿は、健康志向を意識し、農薬や化学肥料を使わないオーガニックコットン。順調に栽培面積を増やし、収穫量も増加し続けています。境港市では住民への綿栽培認知促進のために、新生児には「おくるみ」を、100歳を迎えた方には膝掛けをプレゼントしているのだとか。

また、株式会社きさらぎが自社農場での綿栽培と商品開発を行い、国産オーガニックコットンをベースにした柔らか綿のブランド「伯HAKU」を創設。全国を席巻した往年の伯州綿の復興を目指して、日々研鑽を重ねているようです。

伯州綿を使った伝統の弓浜絣は、現在にも脈々と受け継がれています。昔ながらの手で紡がれた糸は、藍染めされた後、手織りされ、藍と白のコントラストが美しい弓浜絣となります。これは1975年に国の伝統工芸品に、1978年に鳥取県の無形文化財に指定されました。県中部に伝わる、線が細かく絵柄が精巧な倉吉絣(くらよしがすり)と共に、伯州綿は手仕事の素晴らしさも私たちに伝えてくれているのです。

アーカイブ

ページ上部へ戻る