Writingsコラム

急須(きゅうす)と土管、愛知の常滑焼

愛知県は良質な陶土が取れるため、昔から陶器作りが盛んに行われていました。陶磁器の代名詞「せともの」の由来となった瀬戸焼、急須で有名な常滑焼、名古屋市周辺で生産される洋食器やファインセラミック、高浜市周辺の三州瓦など、焼き物の歴史は脈々と受け継がれています。

その中で、常滑焼の歴史は少し変わっているかもしれません。発祥は平安時代末期で、長い歴史を誇ります。日本の六古窯の一つとして伝統工芸品に指定もされています。常滑焼は酸化鉄を多く含む陶土、朱泥(しゅでい)を使い、焼き上がると赤褐色の色合いとなるため「赤物」と呼ばれているそうです。少し前まで「常滑焼といえば急須」と言われるほど、日本全国の家庭でお茶を淹れる道具として親しまれていました。ただ、常滑焼の急須の生産が急成長したのは明治時代から。実は成長の裏側には土管が関わっています。

明治期、上水道が敷設される際、当初は英国から土管やレンガを輸入していました。しかし輸入品はコストがかかるため、国産品を量産する必要に迫られていました。すでに常滑でレンガやテラコッタ、タイルなどの近代窯業を手掛けていた鯉江方寿(こいえほうじゅ)は、1,250℃という高温で焼かれるため耐久性に優れ、水漏れに強い常滑焼の技術が使えると判断し、土管の大量生産に着手しました。土管の需要は案外幅広く、上下水道に使われるだけではなく、農業用水路、鉄道敷設によって絶たれた水路の連結用としても使用されます。大量生産に成功し、国内トップシェアを誇った常滑は、経済的に大きく躍進することになりました。

一方、常滑焼の特性を熟知していた鯉江方寿は、違う分野にも目をつけました。それは急須。茶道具で名品と言われる宜興窯(ぎこうよう)の紫砂茶壺(しさちゃこ)と同じタイプの急須を常滑焼で作らせるため、中国の文人を顧問として招きました。良い品を知る文人の助言を得て、常滑焼の職人たちが創意工夫した結果、美しい艶のある朱泥の急須の大量生産に成功しました。さらに陶土の鉄分がお茶と反応し、苦味をまろやかにするという機能性も評価され、常滑は急須でも全国シェアトップを勝ち取ったのです。

常滑の観光名所の一つに「まねきねこ通り」があります。11種類の招き猫と地元の陶芸家が作った猫が39体、がコンクリート壁に埋め込まれている楽しい道です。さらに市街地を見下ろす高い位置には、常滑のゆるキャラ「とこにゃん」の巨大な頭部が。実は招き猫のシェアも常滑がトップ。さまざまな種類がある招き猫の中でも、お馴染みの二頭身で大きな目、腹に小判を抱えているのは「常滑系」と言われているとか。急須に土管、そして招き猫。常滑焼の懐は相当に深いことを教えてくれます。

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