Writingsコラム

徳島、鳴門(なると)の渦潮(うずしお)

瀬戸内海、徳島県鳴門市と淡路島の間にある鳴門海峡には、有名な自然現象があります。海水がぐるぐると渦を巻いている「鳴門の渦潮」。観光船で間近に見ることもできますが、上にかかる大鳴門橋からの遊歩道からも見下ろすことができます。渦潮見物は、徳島を訪れた際には是非とも体験したいものとなっています。

鳴門海峡は深く落ち込むV字型の地形になっています。陸に近い側の潮流は遅いのですが、満潮時には海底の高低差があるため、潮流が一気に流れ込み、陸側の遅い潮流を巻き込みます。ぶつかり合った速度の違う潮流は、速い潮流が遅い潮流を巻き込み、渦を巻きます。ということで、潮の満ち引きに渦潮の大きさは左右されます。干満差の大きい大潮の日(新月と満月)に激しくなり、特に春と秋の大潮の頃が大渦になるのだとか。迫力満点の渦潮を見たいならば、3月下旬から4月上旬あたりがよいようです。

江戸時代、徳島の地を治めた蜂須賀(はちすか)氏が、この渦潮を望める高台に茶室を建て、鑑賞しました。現在、その茶室の跡地はお茶園展望台となっており、渦潮と大鳴門橋が眺められる絶景スポットとなっています。

蜂須賀氏は、現在の徳島県(阿波国)と淡路島(淡路国)を領有していました。初代は蜂須賀正勝。蜂須賀小六と呼ばれていた時代は、羽柴(豊臣)秀吉と共に戦国の世を生き抜き、この地を獲得したのです。徳川家康の天下となってからも、その地位は盤石。禄を失った人々に頼られることもあったようです。江戸初期の1639年、隣の讃岐国の生駒氏がお家騒動で改易となりました。その際、蜂須賀氏は生駒氏に仕えていた伊賀の忍びの者を引き取り、召し抱えました。表向きの仕事は護衛ですが、伊賀出身の忍者ですから、諜報活動なども行なっていたのかもしれません。彼らが移り住んだところは徳島県伊賀町として今も名前が残っています。人気忍者漫画「NARUTO」が鳴門の忍者から発想されたのかは定かではありませんが、興味深い歴史上のエピソードです。

「なると」といえば、もう一つ。白地に赤い渦巻きが入っているかまぼこの呼び名は「なると巻」。ですが、生産日本一は鳴門市ではなく、静岡県焼津市になります。とはいえ日本人にとって、鳴門の渦潮は渦巻く形の代名詞。「なると巻」の名称の由来となったのは間違いないようです。

実は、鳴門の渦潮は徳島県と兵庫県が共同で世界遺産入りを目指しています。渦潮という自然現象の希少性と、古くから文学や絵画などに取り上げられてきた文化的側面から幅広く資料を集め、まずは国内候補に入ろうと力を注いでいます。渦潮は世界でも珍しい現象だと言われていますし、もしかしたら数年後には世界遺産になっているかもしれません。

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