Writingsコラム

アイスクリームの普及は工業化の賜物

気温が高ければもちろん、冬でも食べたくなるのがアイスクリーム。昔は特権階級しか食べられないものでしたが、1846年アメリカで主婦のナンシー・ジョンソンが樽の中に氷と塩を入れて冷却する「手回し式アイスクリームフリーザー」を発明したことから事情が変わってきます。

それから5年後の1851年アメリカ・ボルチモア。牛乳商ヤコブ・フッセルは、余った牛乳を活用するための加工品を探していました。そこでアイスクリームに目をつけ、家庭用の手回し式だったアイスクリーム製造機の大型化に成功し、大量生産が始まります。その18年後、1869年に横浜・馬車道通りで日本初の製造販売が始まりました。本格的な大量生産は、1920年冨士食料品工業(現在の森永乳業グループの冨士森永乳業株式会社)が東京深川で開始しました。数年のうちに、現在の明治、雪印乳業となる会社が次々に参入してきます。

柔らかな食感のソフトクリームは、アイスクリームよりも高い温度で提供されます。アイスクリームの販売温度は-18℃以下、ソフトクリームは-5〜7℃。実は初期の工場生産のアイスクリームはふんわり食感でした。大量生産が進み、製品を保存しておく冷凍庫の開発も進んでいきますが、一方、昔の味を知る人から、工場生産のアイスクリームはカチカチすぎると不満が出ていました。そこで1931年、昔ながらのソフトな味わいを提供できる「オートマティック・ソフトサーブマシン」が発明され、出来立てのアイスクリームが提供できるようになりました。この出来立てのアイスクリームとは、今、私たちがなじんでいるソフトクリームのことです。

歴史を紐解くと、氷に甘い蜜や乳をかけたかき氷のようなものは紀元前2,000年の中国や古代ローマ、イスラム圏の国々で食べられていました。16世紀初頭イタリアで物を冷やす技術が開発され、フィレンツェのメディチ家のために作られたセミフレッド(半解凍タイプ)のズコット(ケーキ)、つまりアイスケーキのようなものが誕生。メディチ家の娘カトリーヌがフランスに嫁いだ折に、料理人と共にアイスクリーム職人を伴ったことから広まったと言われていますが、長い間、高価な食べ物であり続けました。アイスクリームの普及は、19世紀半ばからのアメリカ人の開発力によるものが大きいでしょう。

アメリカのアイスクリーム産業が大きく発展した理由の一つに、1920〜1933年まで続いた禁酒法の影響があると言われています。多くのビール会社がアイスクリーム製造に参入したという事情で、製品のバリエーションが一気に増えました。悪法と言われる禁酒法は、意外な製品を発展させていたのです。

ひんやり美味しいアイスクリーム。手頃な値段で気軽に食べることができる製造システムと技術の発展に、改めて感謝したいものです。

アーカイブ

ページ上部へ戻る