Writingsコラム

京都・保津川から始まる環境保護の試み

京都府の西側にある山間部・丹波から流れ出る川は、大堰川(おおいがわ)と呼ばれます。川は、亀岡盆地から嵐山に至るまでは保津川(ほづがわ)と呼ばれ、嵐山の渡月橋から先は桂川(かつらがわ)と呼ばれます。さらに桂川は鴨川(かもがわ)と合流して、大阪へ向かい、淀川(よどがわ)となります。このように場所によって呼び名が変わる川ですが、この中で、保津川の知名度は今ひとつかもしれません。けれども亀岡から嵯峨嵐山の風光明媚な光景を船に乗って16km、2時間かけて眺める舟遊び「保津川下り」は観光客に大人気ですので、川の名前が変化していることには気づいていないかもしれません。

この川は、丹波から伐採された木材を、京都や大阪に運ぶ役割を担っていました。慶長11(1606)年、京都の豪商・角倉了以(すみくらりょうい)によって大規模な架線工事が行われ、水路として整えられ、米、麦、薪や炭などが運ばれるようになりました。明治32(1899)年の山陰線の開通まで、重要な水路としての役割を果たしていました。

鉄道ができると、遊覧船による川下りが始まります。夏目漱石は「虞美人草」の中で船頭の力強さをはじめ、川の流れの荒々しさや風景のことを描写しており、水上勉や三島由紀夫など名だたる文豪も保津川下りを体験し、作品の中で触れています。

その川下りの船頭の一人が、乗客からの指摘を受け、見慣れた保津川がいつの間にか汚れていたことに気づきます。大雨が降れば、レジ袋をはじめ、ペットボトルや肥料の袋など、大量のゴミが漂着するようになっていました。2004年、二人の船頭が川の清掃を始めます。当初、遊覧船の会社からなんの援助もなく、同僚からは「川が汚いと逆に宣伝してどうする」など言われ、逆境下でのスタートでした。程なくして川の汚染問題への理解は広がり、保津川遊船漁協組合がゴミ回収事業「保津川ハートクリーン作戦」を始めます。船頭たちが国際会議で、現状を訴えたこともありました。

角倉了以が保津川を開削してから400年という節目にあたる2006年、川の環境保全に取り組む「NPO法人プロジェクト保津川」が発足します。以降、毎月第3日曜日に清掃活動を行なったり、保津川下りの船を利用した清掃活動と歴史を学ぶエコツアー、アユ狩りなどを通して家族で環境を学ぶイベントなどを開催しました。

こうした活動が行政を動かし、保津川下りのスタート地点である亀岡市が2018年12月に「2030年までにプラスチックごみゼロの街を目指す」という宣言を採択。ここから全国初の取り組みとなる「プラスチック製レジ袋禁止条例」が実現します。

現在、亀岡市では、プラスチック製レジ袋は取り扱っておらず、紙製品のみが販売されています。HOZUBAG(ホズバッグ)というエコバッグは東京など各地で販売され、亀岡市の土産物の一つになりました。そんな亀岡市が次の課題とするのは、ペットボトルを減らすためのマイボトルの使用促進。レジ袋同様に、先進的で徹底的な取り組みとなることは間違いなさそうです。

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