Writingsコラム

歴史スポット盛りだくさん!岐阜県

本州のほぼ中央に位置する岐阜県。名古屋はもちろん、京都や大阪などにも近いという地の利もあって、織田信長や斎藤道三、明智光秀など、名だたる戦国武将がこの地の支配を望みました。戦国時代を中心に、岐阜の歴史をおさらいしてみましょう。

まずは県庁所在地である岐阜市にある岐阜城。標高329mの金華山(きんかざん)の頂にある岐阜城は、元々は稲葉山城といい、織田信長の妻・濃姫の父である斎藤道三の居城でした。信長は斎藤道三の孫にあたる斎藤龍興との戦いで稲葉山城を獲得。1567年、金華山に石垣を組み上げた岐阜城を築きました。高所から支配する町を見下ろすという信長の建築思想は、次の移転先の安土城で洗練さと豪華さを伴って実現していきます。

信長は、商人の独占権を廃止し、新規参入を促進したため、岐阜城下の経済は活性化しました。信長は9年しか岐阜城にいませんでしたが、岐阜市民は歴代城主の中で最も信長を敬愛しています。そんなわけで毎年11月に行われる「ぎふ信長まつり」では信長を中心とした騎馬武者行列が行われています。2022年は木村拓哉さんが信長役に扮したため、見学者が殺到し、大きなニュースにもなりました。

岐阜県は大まかに言えば、南部の美濃と北部の飛騨、2地域に分かれます。山岳地帯の飛騨地区は厳しい気候から生活は厳しいものでした。が、木曽川、長良(ながら)川、揖斐(いび)川と大きな川が流れ、平野が広がる美濃は豊かであると平安時代から言われてきました。ただ、大きな川は洪水も多いため、治水事業には強力なリーダーシップが求められました。それゆえ美濃は数々の武将を輩出したのですが、その分、争いも多い地域ともなりました。

そんな美濃を攻略するため、1566年、信長が木下藤吉郎(豊臣秀吉)に攻略基地の建設を命じました。現在の大垣市墨俣(すまた)町のあたりです。あっという間に出来上がったところから、墨俣一夜城と呼ばれていますが、本当に一夜でできたかどうか、その真偽は不明です。ともかく、下準備をした資材を現場で一気に組み立てるプレハブ工法で建てられたため、工期が非常に短くて済んだようです。その様子は、城があったとされる場所にある墨俣一夜城歴史資料館が伝えてくれます。資料館は天守を備えた大垣城をモデルとした城の形をした建物。1988〜89年に国が行った「ふるさと創生事業」で、各地方自治体に配られた1億円を元手に建設されています。

明智光秀は美濃出身で、当初は斎藤道三に仕えていましたが、のちに信長の家臣となります。本能寺の変で信長を殺害した後、秀吉に打ち取られましたが、生地と言われる明智(長山)城跡が可児(かに)市にあります。同じく可児市の天龍寺には、明智氏歴代の墓があり、本堂には明智光秀の木造と位牌があります。位牌の高さは、光秀の命日6月13日に合わせ、6尺1寸3分(184cm)だとか。

動乱の時代の終わりを告げる、関ヶ原の合戦が行われた場所も岐阜県です。戦場は広大ですが、2020年10月21日にできた不破郡関ヶ原町にある岐阜関ヶ原古戦場記念館で陣形や経緯などを学ぶことができます。ちなみに記念館のオープン日は、新暦ではありますが関ヶ原の合戦があった日付と同じです。コロナ禍の中でのオープンでしたが、刀剣や火縄銃に触れることができる体験プログラムが人気のようです。

戦国時代と美濃地域に限っただけでも盛りだくさんの史跡が揃う岐阜県。歴史好きにはたまらない県と言っても過言ではないでしょう。

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