Writingsコラム

福島県の偉人といえば

福島県の著名人といえば、古くは江戸時代に寛政の改革を行った白河藩藩主で幕府の老中を務めた松平定信。新しいところでは福島市出身でNHK連続テレビ小説「エール」の主人公になった音楽家の古関裕而(こせきゆうじ)。須賀川市出身で特撮映画の神と言われた円谷英二(つぶらやえいじ)などの名前が上がるかと思いますが、最も知名度があるのは野口英世ではないでしょうか。

細菌学者の野口英世の肖像は、現在流通している千円札に使われており、誰もが顔を知っている人物です。が、お札の宿命なのか、顔の部分を折って遊ばれたり、マジックパフォーマンスで破られたりと災難にあいがちです。しかし野口英世は、そんな瑣末なことを吹き飛ばすようなパワフルな人生を送った人でした。

1876年、福島県の猪苗代湖のほとりの村で生まれた野口清作(せいさく)は、1歳の時に囲炉裏に落ちて火傷を負い、左手の指が開かなくなってしまいました。そのため、農作業は難しいので勉学で身を立てるよう母から諭され、学問の道を突き進みます。高等小学校の時、清作は「左手の障害がつらい」と周囲に訴えた結果、資金が集められ、左手の手術を受けます。

手術は成功して、清作は高等小学校卒業後、左手の手術をしてくれた医師の書生となり、医学の基礎を学んでいきます。その恩師経由で歯科医の血脇守之助(ちわきもりのすけ)と出会い、医師免許の取得や留学資金の援助を得ることになります。その後、北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所勤務を経て、サイモン・フレクスナー博士の紹介でアメリカに渡った英世はロックフェラー研究所で梅毒スピロヘータの純粋培養に成功し、一連の研究によって東京大学より理学博士を授与されます。その後、アフリカで猛威を奮っていた黄熱(黄熱病)の研究に着手しましたが、罹患し、51歳で死去しました。

ちなみに伝染病研究所勤務時代に、清作から英世に改名したのですが、戯作に登場する野口清作という人物が相当な放蕩者で、同一人物であると思われると困るという理由からでした。が、そう主張した本人も遊郭通いで名高く、改名で自らのイメージを刷新したかったからなのでは、とも言われています。

野口英世の最初の伝記は、生前に出版されました。これは左手に障害を負った英世が困難を乗り越えて研究を成し遂げたという美談でまとめられていましたが、これを読んだ本人が「こんなのは作り話だ」と一蹴したとか。実際、留学費用を一晩で遊郭で使い果たしたりと、破天荒な逸話に事欠きません。

財務省によると、野口英世が千円札に採用された理由は、今まで科学者を採用したことがなかったためと、教科書に掲載されるような知名度からのようです。貧しい家に生まれ、障害を克服し、世界的研究者となったという立身出世ぶりを偉人として教科書に載せるには、放蕩伝説は都合が悪かったかもしれません。ですが、猛烈な研究意欲と、有力者に思わず援助させてしまうような人間的魅力があったことも確かでしょう。

2004年から20年に渡って千円札の顔として流通してきましたが、2024年からは同じ科学者である北里柴三郎と切り替わります。もうすぐお別れとなると寂しさを感じてしまうのも、また野口英世の人間力なのかもしれません。

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