Writingsコラム

山口県とフグ、そして幕末の志士

山口の名産品といえばフグが思い浮かびますが、実は漁獲量日本一は北海道です(2019年)。石川県、宮崎県と続き、山口県は4位。漁獲量は北海道と石川県が常に争っている状態で、近年では海水温の変化で、思いもかけない海域から豊漁になることもあるようです。山口県のフグが有名なのは、全国でただ一つのフグ専門卸売市場「南風泊市場(はえどまりしじょう)」が下関市にあるからです。

フグには毒があるものの、縄文時代から食べられていました。が、毒のある内臓を食べてしまうこともあったようで、フグの骨を囲んで家族5人の人骨が出土されているとか。リスクはあるものの美味なフグ。正式に禁止令が出されたのは豊臣秀吉からでした。朝鮮出兵で九州に集められた武士が、立ち寄った下関でフグを食べ、中毒死した事件がきっかけです。

そんな事件が地元で起きたため、江戸時代から長州藩は武士階級のフグ食を厳格に禁じていました。ですが庶民はこっそり食べていたようです。しかし長州藩で生まれ育った幕末の思想家・吉田松陰は、わざわざ筆をとって「不食河豚説(フグ食わざるの説)」を記し、フグを食べて死ぬことは不名誉で武士のすることではないと非難しています。

皮肉なことにフグ食を解禁したのは、吉田松陰が主催した松下村塾の門下生の一人、伊藤博文です。明治時代となり、初の内閣総理大臣となった伊藤博文は下関の料亭宿で生まれて初めてフグを食べ、その美味しさに「これを禁止するのはもったいない」とフグ料理を解禁させました。

吉田松陰と松下村塾は、山口県と幕末を語る上で欠かせない存在です。下級武士の家に生まれたものの、秀才として将来を嘱望されていた吉田寅次郎(のちの松陰)は、15歳の時、アヘン戦争で清国が敗れたことを知り、危機感を覚えます。外国のことを知らなければならないと、伊豆の下田に停泊中だった米国艦船(黒船)に乗り込み、海外に連れて行って欲しいと頼みますが、当然認められません。この件で牢獄へ送られたものの、のちに釈放。実家に幽閉の身となりましたが、松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤博文など80人もの門下生を集めます。危機感を煽り、幕藩体制を揺るがす罪人として1859年の安政の大獄で処刑されましたが、松陰の思想は明治維新への原動力の一つとなります。

ここで気に留めておきたいのは、幕末当時の世界情勢です。19世紀前半から、大英帝国が世界各地に軍港を置き、世界の海洋覇権を握っていました。が、後半になるとフランス、ロシアが海軍強化に取り組み出します。また、1865年に南北戦争という内戦を終結させたアメリカも乗り出してきます。アジア圏で手付かずであった日本の港に、蒸気船の燃料である石炭や水、食料を補給する拠点が欲しいと、各国から狙いを定められたわけです。

江戸幕府ができた17世紀初頭はポルトガルとスペインが覇権を握っていました。幕府はヨーロッパから2大強国を外し、オランダという第3勢力と貿易を続ける選択をしました。当時は帆船の時代でしたが、19世紀初頭、蒸気船というスピードの出る船が出現することで、世界の変化の速度も速くなりました。現代社会も技術革新で大きく変化しています。今こそ、従来の自分の狭い視点だけでは足りない、と黒船に乗り込もうとした吉田松陰の焦燥感を共有するべきなのかもしれません。

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