Writingsコラム

岩手県・遠野に伝わる物語

手県のほぼ中央に位置する遠野。この地は不思議な昔話にあふれています。カッパや座敷童子に、おしらさま? 謎多き伝承の数々と、その背景に少しだけ迫ってみます。

標高1,917mの早池峰(はやちね)山周辺に広がる北上高地。その南側の平野部に遠野があります。緑豊かでのんびりとした農村というイメージがある遠野ですが、戦国時代から近隣地域の本拠地となる鍋倉(なべくら)城があり、江戸時代にはこの地を支配した遠野南部氏の住まいとなっていました。西には花巻や北上、東には陸前高田や大船渡、早池峰山を越えた先の北には盛岡があるため、遠野は意外にも物や人が頻繁に行き交う場所でした。そうしたことから、人々が出身地の不思議な話を語り合い、蓄積していったのだと考えられます。

この地に生まれ育った作家・佐々木喜善(きぜん/筆号・鏡石)が、農務省に勤務する官僚・柳田國男(やなぎたくにお)に出会ったことから「遠野物語」が生まれました。柳田國男は農務省の仕事で全国の農村を巡るうち、各地の風習や伝承に興味を持つようになっていました。佐々木喜善から遠野にまつわる不思議な話を聞いて興味をかき立てられ、シンプルな文体を用いて一冊の本にまとめました。刊行は1910年で、最初は自費出版でした。

「遠野物語」の中には、馬と結婚した娘の話があります。それを知った父親が馬を殺して桑の木に吊るしたところ、嘆き悲しんだ娘が馬にすがって泣くので、さらに怒りが増した父親は、馬の首を切り落としてしまいます。娘は馬の首を抱えて天に昇りましたが、馬が吊るされていた桑の木は、残された人々が3分割して神像を作りました。それが「おしらさま」という謎めいた神様です。養蚕や馬の神と言われていますが、神像は木の棒状で、顔かたちもシンプルなものか、もしくはまったく描かれていません。

戦国時代以降、南部氏が治める盛岡藩では、馬の育成に力を入れていました。南部馬は軍馬として古来から有名で、育成の歴史は奈良時代に遡ります。糠部(ぬかのぶ)という、今の青森県・下北半島を中心に牧場が広がり、「糠部駿馬(しゅんべ)」はその名の通り俊足を誇ったブランド馬でした。

遠野は盛岡藩の南端にあたります。育成地とは遠く離れていますが、移動手段や農耕馬として、また神の使いの神馬としても、長く馬は大切にされてきたはずです。この辺りでは、馬を殺して吊るし、首を切るなんていうことは罪深いことだったに違いありません。馬が吊るされた桑の木から作られたおしらさまは、公にされることがほとんどなく、限られた集団内で神事を行っていました。このようなことも含め、昔話の裏に何があったのか、気になるところです。

今年、盛岡市はニューヨークタイムズ紙の「2023年に行くべき52か所」の第2位に選ばれ、注目が集まっています。歩いて巡れるコンパクトさが魅力の盛岡市をはじめ、県内には中尊寺や厳美渓(げんびけい)、小岩井農場などがあり、観光に事欠きません。実際に足を運ぶのも楽しいでしょうが、蒸し暑くて眠れない夜には「遠野物語」を読んで、不思議な話と戯れてみるのもいいかもしれません。

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