Writingsコラム

だしに関する基礎知識

だしの効いた汁物や煮物を食べると、なんだかほっとします。海外旅行から帰ってくると、日本独特の昆布や鰹節で取っただしのおいしさが、どれほど際立ったものであるかがよくわかります。日本料理の核を成すだしについて、歴史と地域性について基礎的なことをご紹介します。

昆布、カツオ節、煮干し、しいたけの4種類が、日本料理における代表的なだしの素材ですが、この中で最も歴史が古いのはしいたけです。しいたけは文献として残るずいぶん前から食べられていたため、乾燥して保存することも、その戻し汁を使うことも当然行われていたと考えられます。江戸時代の料理書には、当然のようにしいたけのだしの取り方や利用方法がまとめられていますが、明治時代に栽培法が確立されるまでは、しいたけは高級品で庶民は食べられないものでした。

煮干しも、材料であるイワシが古代から食べられていたので、だしとして利用されていたと考えられます。イワシは肥料として活躍しつつ、江戸時代の庶民のだしの材料としても使われていました。カツオ節のだしは正月や婚礼など、特別な日しか食べないものでした。

現在、一般的なだしといえば、昆布とカツオ節の混合だしですが、江戸時代では関西は昆布だし、関東はカツオだしを単体で使うことが普通でした。二つを合わせて相乗効果を発揮させることは、江戸時代初期の料理書「料理塩梅集」に記載されていますが、これもまた高級料理に使用される特別なだしだったようです。一般的になるのは明治時代以降になります。

カツオ節はカツオを乾燥させて燻製にしたものです。室町時代からカツオ漁の盛んな五島・平戸・紀伊・志摩・土佐で今のカツオ節と似たようなものが作られていました。かびやすいのが欠点だったらしいのですが、江戸時代初期に紀州のカツオ節の焙煎技術が飛躍的に向上して、欠点が克服されます。これが江戸で爆発的にヒットしました。それを機に、各地で技術革新が起こり、カツオ節の消費量は伸びていきました。

昆布は、江戸時代の蝦夷地(北海道)の開発から生産量が増え、利用法が考えられるようになりました。日本海を南下して、下関から大阪、江戸へと到達する、北前船と言われる商業航路が確立したことから、昆布が日本海沿岸地域と大阪を中心に流通するようになります。さらに航路は沖縄まで伸び、沖縄料理での昆布利用も加速することになります。

関東でカツオだし、関西で昆布だしと、地域によって違いが生じたのは、上質な昆布がまず大阪で買い付けられたためだと言われています。さらに硬度が低い関西の水には昆布が向いており、逆に硬度の高い江戸の水では昆布の旨みがうまく引き出すことができず、昆布のみを使っただしが発達しなかったとされています。しかし昆布にカツオ節を加えた合わせだしの誕生が、江戸の水の欠点を克服し、おいしさもアップしたのでした。

出汁はチキンスープや牛骨スープなどと違い、油脂成分を含みません。そのヘルシーさで、今、日本のだしが世界中で注目されています。栄養も豊富ですから、疲れた時はだし汁だけ飲んでみるのもおすすめです。

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