Writingsコラム

改めて、ポストコロニアリズムとは

感覚的にわかってはいても、説明しにくい言葉がありますが、ポストコロニアリズムもその一つではないでしょうか。直訳すれば「ポスト植民地主義」ではありますが、実は本質を理解していないと、視点がずれたり、余計な偏りを生んでしまうような言葉でもあります。改めて、多様性とも絡めた上で、使い方をクリアにしていきましょう。

第二次世界大戦後、アジア、アフリカ、中東、オセアニア等の地域で旧植民地が独立していきます。それからポストコロニアル(postcolonial) 「植民地独立後」という言葉が、さまざまな場面で使われていくことになります。そこから派生したポストコロニアリズムは、植民地支配とそれが残したものに関する研究のことで、人種、ジェンダー、階級などさまざまな視点から文化やイデオロギーの対立を比較しています。

その研究の流れの中で、パレスチナ出身でアメリカに移住し、文藝批評家・思想家エドワード・サイードが「オリエンタリズム」を発表します。それまでのオリエンタリズムは、帝国主義の西洋視点での、エキゾチックな「東洋趣味」や「東洋研究」を示す言葉でした。サイードはオリエンタリズム論として、西洋の視点と東洋の視点を線引きしました。ただ東洋と西洋が対立するのではなく、互いが自立し、交渉しあうことが大切であるということも「文化と帝国主義」で述べていますから、サイードが対立を煽る研究者ではないことがわかります。

もう一つ、ポストコロニアリズムのもう一つの潮流を理解しておきましょう。インド出身のガヤトリ・C・スピヴァックが、「サバルタン」で文化的、経済的、政治的に劣勢に置かれている人々をサバルタンと名付けました。抑圧された人々は疲弊し、自分で語ることもできません。そこでドキュメンタリー映画監督らが、サバルタンたちの語りを映像作品として表現する試みがなされています。

気をつけなければならないのが、オリエンタリズムやサバルタンの論考は、民族や国家の分断を主張するわけでもなく、文化的・経済的搾取をされている層に武装蜂起を促しているわけでもありません。両者は共に視点の違いを明らかにしただけで、差別や憎悪を煽り立てるものではないのです。

表層的に理解したつもりで、身勝手な思想に共鳴すると、自分たちこそが優位と考え、異なった民族や文化を無闇に卑下するという行動をしがちです。また帝国主義への憎しみを煽り立てることに利用されている場合もあります。こういった間違った引用や考え方からは、正しい認識を持ち、距離を置くことが肝心です。

ポストコロニアリズムは、他者を理解する視点を得るために、負の感情に振り回されることなく、冷静に分析していく研究です。異なったバックグランドを持つ他者を理解することで、共感したり、公平さへの意義などを考えるようになるでしょう。理解の助けとなるのが、現代アートや映画などの作品群です。イデオロギーはややこしいものですが、アートの世界は多様な価値観に満ち溢れており、純粋に心に訴えかけてくれます。文化や習慣の異なる他者を理解する手段として、まずは芸術分野から入ってみるというのはいかがでしょうか。

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