Writingsコラム

長崎県・島原の和ろうそく

長崎県・島原といえば、歴史の授業で習った1637年に起きた島原の乱を思い出す方も多いかと思います。現在、世界文化遺産として登録されている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン」は、キリスト教信者たちが立てこもった城を中心とした城址跡。写真を撮ると必ず雲仙岳が顔をのぞかせます。雲仙岳は活動中の火山で、大きな被害を及ぼした噴火を、記録に残るだけでも3回起こしています。

雲仙岳は普賢岳を中心とした火山群になります。50万年くらい前から噴火を繰り返し、高岳、絹笠岳、矢岳などができたようです。その後、九千部岳や吾妻岳ができ、10万年ほど前に野岳、妙見岳、普賢岳が誕生しました。

島原の乱から30年ほど経った1663〜1664年に、普賢岳から溶岩流が流れ出し、森林を襲いました。溶岩は川に流れ込んだため、氾濫が起き、死者30人余りという被害を出しました。それから約130年後の1792年、「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた大噴火が起こります。現代でこの名称ならばSNSで大炎上しそうですが、ともかく被害は凄まじく、山体崩壊を起こし、津波も発生したため、島原・肥後合わせて死者行方不明者は1万5000人にも上りました。

森林は焼け落ち、降り注いだ火山灰は膨大な規模でした。島原藩は、復興のために火山灰に強いハゼの植林を推奨します。ハゼは漆科なので、葉や樹液にかぶれてしまう人もいますが、冬には落葉し、枝についた実だけになります。このハゼの実は葉と違ってかぶれたりしないので、実の採取は安全です。ハゼの実の外殻から抽出された油脂は木蝋(もくろう)が作られます。島原では幸いなことに、特に実が大きく、蝋分が多い品種が生まれ、広まったようです。木蝋はろうそくの原料となり、島原藩はこれで財政を立て直しました。

ろうそくには、和ろうそくと洋ろうそくの2種類があります。洋ろうそくはエジプトやローマ時代にはすでに使われており、ミツバチが作る蜜蝋(みつろう)が原料です。ただ、蜜蝋ろうそくは高価なため、当時安かったクジラや魚などの脂が使われましたが、燃焼時の匂いはきつかったようです。現代では重油を生成したパラフィンが主原料です。芯は綿糸が一般的です。

和ろうそくは、ハゼの実の他、漆の実、大豆や米ヌカなど、植物性油脂が原料です。芯はイグサの仲間である灯心草と和紙で作られ、中は空洞。筒状の芯に木蝋を重ねて作られます。芯が空洞なために炎は大きく、洋ろうそくよりも長持ちしません。が、ろうが垂れにくく、風に強く、明るいのが特長です。

島原での和ろうそく工場の数は、最盛期には200件以上あったと言われています。残念なことに現在、島原で木蝋を使った和ろうそく工場は、本多木蝋工業所だけとなりました。1990〜1995年の平成新山ができた普賢岳噴火により、ハゼが壊滅的な被害を受け、原料調達が困難になったため、廃業が相次ぎました。他にも植物性油脂を使って和ろうそく作りをしている地域はありますが、伝統的な製法を行う業者は少なくなってきているようです。

島原の乱に敗れ、そっと信仰を続けてきた信者たちは、島原ろうそくの炎のもとで祈ってきたのでしょうか。洋ろうそくとは違った和ろうそく独特の炎の揺らぎは、いつもとは違うことを考えるきっかけになりそうです。

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